年頭のご挨拶

2022年。
明けましておめでとうございます。
普段は、去年再婚した妻と二人で高山村に住んでいます。東京と横浜に住んでいる成長した子ども達は、普段は寄り付かなくても、お正月にはなぜか集まってくれます。今は、元旦の早朝。これから夫婦ふたり合わせて五人の子ども達が集まり、賑やかなお正月になるでしょう。

昨年の出来事は、、、
6月に2歳下の妹を亡くしました。
この15年間に多くの家族を失いました。
13年前に妻を。
その後、父親と母親を。
そして、妹。
一番初めに最大マグニチュードの喪失が来てしまったもので、その後の喪失は比較的楽だったとも言えますが、妹の死はいまだにどう整理して良いのかよくわかりません。
妻と両親は、私自身が悲しみの一人者であり、堂々と悲しみ、ブログなどにも書きまくりました。妹の場合、悲しむ主体は彼女の夫や子ども達であり、私は傍系だろ、彼らの先を越してはダメだよみたいな気持ちもあり、あまり書いていないんです。
妻の死は、それまで空気のように満ちていた愛着の存在とその重要性に気づかされ、両親の死によって親に対する愛着に気づき、再婚する気持ちに至りました。これらは自分の人生を揺るがす大事件でした。
妹の死の場合、残念ながらそこまでは至りません。現在の日常生活には必要ない人だったからです。でも、大切な家族でした。二人きょうだいで幼少時は仲良く、思春期は派手に兄弟ケンカして、20代にはケンカも落ち着きお互いの友人達と交流してよくスキーに行ったり。お互いに結婚してからは付かず離れず、時々お互いの家族が集まったり、小姑役を演じて私の妻と戦ったり。その妻を失うと近づいて来てくれて、広尾での個人開業中はずっと事務をやってくれました。群馬に移住してからは会うことも少なくなり、私の再婚に到る中でまた距離を離してゆきました。亡くなる1年間くらい会っていなかったのですね。

つい3日前、高校山岳部の仲間の一周忌にあたり、山岳部の仲間たちと「追悼」と称して山岳部ご用達の居酒屋に集まりました。
つい先日、学会の大切な仲間に末期ガンが見つかりました。

「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます。」
悲しんでいる最中だから、喜びたくない、、、その気持ちはよくわかるのですが、私はあえて悲しみと喜びを一緒に味わいたいと思います。なぜなら、その両者は表裏一体だから。
新年を迎え、家族が集まり生きている喜びをお祝いしても、子どもたちはそれぞれの生活の場に去っていきます。生きる喜びは刹那的です。
逆に悲しみからスタートし、人生のはかなさに向き合えば、健康に生きていられる喜びを素直に受け止めることができます。
 私は職業柄、多くの人々の死に関わって来ました。そして、この13年間、大切な人を失い、このように考えるようになりました。