メタ合宿

先週の連休のメタ合宿は4名が参加しました。
これは、過去の合宿に参加した方限定の合宿です。
天気が良かったので、自然の中、家の庭でもやりました(写真)。

主宰する私としては、通常のジェノグラム合宿に比べると楽です。通常の合宿では私がリードする部分が多いのですが、メタ合宿での私の役割は皆が安心して語れる環境を整えるだけで、あとは慣れている参加者たちが自ら展開してくれます。前回に描いたジェノグラム(家系図)を持ってきたり、新たに今の視点でジェノグラムを描いたりします。参加者たちはお互いに支え合い、自然の中で癒しが展開されていきます。

主催する私自身も客観的な観察者ではなく、参加者の一部です。こんなことがありました。
困難に押しつぶされそうになりながらも、前に進もうとしているひとりの参加者に、私が質問しました。
「あなたが前に進んでいるレジリエンスは何ですか?」
参加者は意図せぬ質問に戸惑いながらも応答してくれます。

その翌日、別の参加者が私に尋ねてきました。
「先生のレジリエンスは何ですか?」
「そうねぇ。。。大きな困難に出会うと、それを乗り越えるために前に進む人と、後ろに撤退する人がいますね。後退すると『うつ』をはじめ様々な問題が生じます。それがどんなに辛いか、たくさんの人を診ているので、どうしても前に進もうと思ったんですよ。」
「そう思っても、できない人もいますよね。先生はどうやって前に向かったのですか?」
そう突っ込まれ、私もすぐには返答できず考えてしまいました。
答えは何となくわかっていたのです。でもそれを言っちゃっていいのだろうか?発言すれば、それが参加者に認められ、私自身の「物語」に組み込まれます。

たぶん参加者たちも同様に体験していることなんだろうなと感じました。私は他の参加者たちが、いろいろ突っ込んで物語を深めていきますからね。
参加者たちの声も伺いたいと思います。

自分のジェノグラムを書いた中で、今までは、自分のため、家族のために何ができるかと言うことばかり考え、自分が何をしてもらいたいかと言う発想がなかったことに気が付きました。それは、いろいろなことをしてもらう時も、当たり前の事と思っていたからだと思います。
今後は、どんなことをしてもらいたいかと言う視点を持つとともに、どんなことをしてもらっているかを振り返り感謝できればと思います。

「歩き出したら沈んじゃいそう」そう思っていた私は、これからどうやって生きていくか悩んでいました。
メタ合宿が終わってから、体が軽くなって、ぐっすり眠れるようになりました。
「人は人に何かしてもらうからこそ、何かできると思うんです」これは自分のセッションが終わっていい気分になっている私が言った言葉です。正直、その言葉を発した自分に、自分自身が驚いて、気付かされていました。
返したいと思うのは、それだけのものを貰ってきたから。
今もたくさん、貰っているから。
ちょっと前まで、ただの重荷で、早く下ろしたかった家族への気持ち。それは今、私を奮い立たせてくれる、私の人生を生きるための大事な力になりました。
みなさんとの対話の中で、私の物語が変わりました。
セッションで、10年後、20年後を想像した時、自分の足でしっかり立って、自信を持って親と話す自分を想像しました。それは、自分自身に嘘をつかず、自分で切り拓いた人生を生きている私でした。
それを実現させるために私がやるべきことは、今を精一杯に生きること。
歩き出したら沈んじゃいそうだった道が、確かな道になりました。
みなさんが私と一緒に涙を流し、一緒に悩み、最後まで私を信じて受け止めて下さった、あの時間と空間。あたたかくて、優しくて、自然で、温泉みたいでした。
あんなに痛くて泣いたのに、心地よい体験でした。日常生活に戻ってきたばかりなのに、「高山村に帰りたいなぁ」なんて思っている自分がいます。みなさんと過ごした高山村の古民家は、私にとって帰りたい場所のひとつになりました。
私のAnother Skyです(笑)
「また押し潰されそうになったら、高山村に行こう」そう思うだけで今を頑張れます。
「この人の所に帰れば、大丈夫」私もそう思ってもらえるような人間になりたいなと思いました。
この合宿に参加して、みなさんから受け取ったバトンを、私もたくさんの人に繋いでいきたいです。

今回は、母との死別がテーマになりました。
これまで母がいつかは死んでしまうことを頭ではわかっていながらも、現実感のない、どこか他人事のように捉えていました。しかし、私の幼少期から母の自慢の兄として語られていた伯父が亡くなったことで、母の死という現実を受け入れざるを得なくなったのです。
この事実を認めなければいけませんが、絶対に認めたくない。
心と頭はぐちゃぐちゃです。
私は子どもの頃から母の話し相手となってきました。母親は、私にとって母親でもあり、家族のゴタゴタを共に乗り越えてきた相棒です。母は、文字通り「身体を張って」私たちを守っていました。
 そんな母と私が向き合うことは、私にとっては恐怖でしかありません。「瓢箪から駒」のように、気づきたくない母とのネガティブな関係に気付いてしまう可能性がゼロではないからです。これまで母と頑張ってきた物語を壊すようなことはしたくありません。
しかし、現実を突きつけられた以上、なんとかするしかありません。気がつかなかったことにするという方法もあるのでしょうが、職業柄、自分の感情を押し殺したまま生きることは難しいことも理解しています。
腹を括り、私の中にいる母親について泣きながら、一生懸命、話しました。
そして、気がつきました。
私の中には、母から伝えられた「優しさと強さ」が、ありました。
そのことに気がついたら、とても温かい気持ちになってきました。
 話しきった後に、母から強さと優しさのバトンを受け取っていたという安堵感に包まれました。
私はたしかに母からバトンを受け取っていました。そして、このバトンを私の家族や一緒に勉強している学生さんにも渡していきたいと思いました。
すると一緒に合宿に参加した学生さんから思いも寄らない言葉をかけられました。
「先生がお母さんから受け取ったバトンは、私にも届いている」
自分が肯定されるような温かい気持ちに包まれるとともに、身体に力が沸いてきました。
ネガティブに語られがちな死。でも、今回の合宿では、母の死と向き合い、受け入れることで、前向きの力に変えることを学びました。
これまでの合宿では父親との葛藤をテーマにしてきましたが、その背後には、母親と向き合う怖さが隠されていました。そう思うと、父親は、私からどれだけ文句を言われようと、何度でも立ち上がる父親の役割を果たしていたと思えてきました。本人は、こんなこと1ミリも考えていないでしょうが。
参加者のみなさんが一生懸命、私の話を聴いてくれたおかげで、痛みを伴いながらも、この物語を紡ぎ出すことができました。
ありがとう、お母さん。私は、頑張っていけるよ。
ありがとう、学生さん。私は、その言葉で何度でも立ち上がれる。

合宿を終えて数日は、なんだかぐちゃぐちゃした気持ちが湧いてきて、落ち着かない心境でいました。それは、「田村先生に見捨てられてしまうかもしれない!?」という気持ちがあることに、そして親を投影している気持ちだと気づきました。
今回の合宿で私はかなり本音を出して、素っ裸の自分を出したので、私の心の深いところにあった「本当の自分を出すと見捨てられる」という不安(ネガティブな思い込み)が出てきたのかな、と思いました。
今までも田村先生の場で、本音をさらけ出してきた私ですが、今回の合宿では特に、他の参加者の方々との年齢や肩書きを超えた「素っ裸同志の人と人との関わり」を強く感じました。
先生ご夫妻や参加者の方々と今回初めて同じ食卓を囲んだ体験がとても貴重でした。その時に先生がまるで父親のように感じられ、安心する父親に見守られて食事をとる家族とはこういう感じなのか、、、と私には生まれて初めての感覚が湧いてきました。なんとも言えない安心感です。—これは、私の子どもの心が反応したのだと思います。先生の奥さまにもまるで母親のような感覚になりました。
このような投影が起こったのは、参加者の方々との素っ裸な関わりがあってのことこそだったとも思います。他の参加者の方々は兄弟のような感覚でしょうか!?
それだけ人と人との距離が近くなる経験が、私にとっての合宿の意義なのではないかと今思っています。
セッション中、私は他の参加者の方のお話を聴きながら、自分とリンクさせ感情が大きく動きました。そして、その自分をそのまま言葉に表現しました。参加者の方々もご自身をそのまま表現されていることを感じました。ある参加者の方から頂いたお言葉が、その方の語りを聴くことによって厚みを増して私の心に深く届くことがありました。
合宿空間=感情(エネルギー)をわかち合う人と人とのつながり=人と人とが一緒に居る感覚
・・・そのような人との親密な関わりを感じて、皆さんとその場に一緒にいることに喜びを感じ、ひいては私という存在の安心感に繋がります。この感覚は多かれ少なかれ今までの合宿でも感じていて、だから私は合宿に参加したいんだとわかりました。

自分自身については、自分の理想となるような家族関係にしようといろいろ考えて、家族に働きかけて、コントロールしない様にしていてもコントロールしようとしていたのかもしれないということに気づきました。自分の理想とする家族がいかにも絵に描いたような家族であったことにも気づきました。
今の現状で「何も問題はない」という先生の一言でこれでいいんだと安心しました。又、参加者の方々からの指摘や感想を受け取り、仲の良い家族関係とは?自分が本当に求めているものは?ということを考えさせられて、一つ屋根の下で暮らすことにこだわらなくていいのではないかと思いました。
そして「母親としてこうでなければならない」という自分で決めたルールで自分を苦しめていたことにも気づきました。
私が思うよりずっと、子どもは成長していることにも気付かされた合宿でした。子どもにとっては、私との距離が離れて自立する良いチャンスになった様子です。

ジェノグラム合宿

今年のジェノグラム合宿の報告です。
7月と8月にそれぞれ二泊三日で行いました。
初日の午後から三日目の午前まで、3時間のセッションを4回行います。
今年は、7月・8月ともそれぞれ3名の参加でした。
現地に参加した人と、オンラインで参加した人の両方がいます。
今回は比較的人数が少なかったので、一人のジェノグラムを約3時間、十分な時間をかけて描くことができました。

私からのリフレクションです。

場の力
「ここに来ただけで、癒される」
、、、参加者の言葉です。
ど田舎の自然の中、鳥のさえずりと木々のそよ風。
私はもう慣れてしまいましたが、そもそもそれが魅力で移住してきました。
環境や空気感が、気持ちに与える影響はとても大きいものです。
古民家の二階は昔はお蚕さまのいる養蚕部屋だったのですが、その広い空間を改装し、今年から合宿に使っています。

家族のストーリー
NHKのテレビ番組「ファミリーヒストリー」はときどき観ています。
著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材。「アイデンティティ」、「家族の絆」を見つめる番組。初めて明らかになる事実に、驚きあり、感動ありのドキュメントです。
という番組です。
これになぞらえれば、合宿は、、、
「フツウの人の家族の歴史を本人の言葉で徹底取材。「アイデンティティ」、「家族の絆」を見つめる合宿。初めて気づく事実に、驚きあり、感動ありのドキュメントです。」

自分の家族をここまで深く語る体験は、まず得られないと思います。
ジェノグラム合宿では、家族メンバーについてひとりひとり語っていきますが、自分自身を語るのが一番むずかしかったと言います。よく知っているはずの家族や自分のことを敢えて語ると、新しい気づきがたくさん見えてきます。まさに「驚きと感動のドキュメンタリー」と言えるでしょう。
テレビ番組では出演者がよく泣きますよね。
合宿の参加者もよく泣きます。

言葉の力
「言葉の力の大きさに驚きました。」
ある参加者の言葉です。
私もそう思います。
大切な人から発せられる言葉は、人の心を大きく動かします。
マイナスの言葉を受けると、大きく傷つき、
プラスの言葉を受けると、大きく癒されます。
ただし、表面的な言葉のやり取りではプラスもマイナスにもならないんですね。
どれだけ自分の気持ちを表すことができるかにかかっています。
その言葉が大切な人にそのまま受け止められれば、
人は傷つきから解放され自由になれます。
合宿はそれを具体的に実現する場です。

心のマッサージ
今回の合宿中に連想したのは、私が心のマッサージ師になった気分でした。
だれでも長い人生、心を使っていると凝りが溜まり、固くなっちゃうんですね。
うまく動かない部分を無理に動かそうとすると痛いので、動かないようにこころを固めてしまいます。つまり心の動きが悪くなってしまいます。
心を自由に動かせなくなると、とても不自由になるばかりか、さまざまな弊害を及ぼします。
合宿では、凝り固まった部分を探し出し、そこに焦点を当てて、ゆっくり、丁寧にもみほぐします。
凝った心を解きほぐすには、その部分に触れないといけないのですが、その触れ方が微妙です。表面を触りなぞるだけだと効きません。触れる圧が強すぎると痛くて飛び上がります。その人が耐えられる強さ加減を確かめながら、痛みに触れてもみほぐしていく。そんな感じでした。

現地参加とオンライン参加
コロナ以降、オンラインのカウンセリングやスーパーヴィジョンを早期から積極的に行ってきましたが、この合宿だけは現地での対面方式に限定していました。しかし、去年から合宿もオンライン参加を取り入れました。今年の2回の合宿も現地とオンラインのハイブリッド形式で行いました。
zoomなどのIT技術が進化し、我々も使い方に慣れてきたとはいえ、対面とオンラインではk交わされる情報量に差があります。合宿では参加者同士の交流も大切にするので、現地参加者とオンライン参加者ではどうしても差ができてしまうのではと危惧していました。

実際はどうだったのか?私の感触ではオンラインでも現地参加に引けを取らない感触を得られたのではないかと思うのですが、実際のところは参加者の声を聴きたいと思います。

体験の伝承(私にとっての生きがい)
私は還暦を過ぎ、セラピーばかりでなくスーパーヴィジョンに力を入れてきました。私が臨床家として人々に関与できる年数は限られています。精神科医として、家族療法家としてこれまでに得てきた経験を次の世代に伝えたいと願っています。
今回の参加者は20代、30代、40代の人たちでした。
合宿をはじめとするさまざまな臨床活動は、私にとっての生きがいでもあります。

参加者からのリフレクションを紹介します。

山の中のここちよい環境と、先生のお家の古民家の過ごしやすさ、そして、集ったメンバーの方々の人間性、すべてがケア的でした。
対話の時間とそうでない時間の切り替えが気持ちよくできたのも不思議だったことの一つです。そもそも場所がきもちよいので、対話が終わればそこにかえっていくことができたというのもあるかもしれませんが、何より先生の、場のつくり方、場の閉じ方によるものだったのではないかと思います。
帰ってから、家族と会った時、なんだかスッキリしてる、と言われました。私自身、帰りの道中、とても気持ちが楽で、こころの凝りをほぐす、こころをデトックスするということの大切さを実感しました。どんなことを話したか、ジェノグラムを眺めながら家族と共有し、絆が深まったように思えました。
今回、みなさんの家族の話を聴き、リフレクションをしたり、自分の歴史をあれだけ長い時間をかけて聴いていただけたことは、本当に宝物のようでした。
じっくり、しっかり聴くことの力、集団の力を体感できたことは、自分のこれからの臨床にも、人生にもとても大きな影響があると思います。オープンダイアローグ的なことも含めた家族療法を、さらにしっかりと学びたいと思いました。

田村のリ・リフレクション)今回は、少人数だったせいもあり、時間をゆっくり流すことができました。こころのデトックス。ぜひご家族にも伝えてあげてください。

3日間、本当に貴重で幸せな時間、体験でした。参加動機は終わってみて今思うと、ライフサイクルが小さな子どもを育てる時期に入り、原家族との距離感がまた変わり、たまに強い感謝を感じても、日常的には常になぜか湧いてくる怒りや負の感情、それが子やパートナーに向かうことをどうにかしたい。外面は良く、心地よい人間関係を築いているようで、家族などの近しい人に怒りや負の感情をぶつけて結果関係を断絶させていく、そんな方法が嫌なのに、繰り返してしまいそうな自分への嫌気が指し、次世代に負の遺産は継ぎたくない、という気持ちで臨んでいたのだなぁ、と後になって感じます。自分なりに家族療法を学びながら、自らを省みたり、俯瞰してみようとしたり、名前がつくことでホッとしたりなどを繰り返してもどこか落とし所が見つからない、うまくいきそうですぐに崩れそうになる足場をどうにかしたいとさまざまな学びからつなげたり広げたりを繰り返していました。

今回の合宿はオンラインでしたが、『気持ち、感情の体験にフォーカスすること』を言ってくださり、田村先生のお話からその手本といいますか、先生ご自身もワークを通じての変化を開示してくださり、他の参加者が先んだってその姿を見せてくださり、私自身もおそらく人生で初めて、自分と家族のことを、他者からの期待を軸におかず、飾らずに素直な自分として、最初から最後まで話切る経験を得ました。それが、自分1人ではなく、田村先生、他の参加者の方々もただただ聴いてくださったことであるがままを受け止めてくださったような気持ちになりました。どこかで小さい頃から抱え続けている『私は恵まれている環境なのになんでこんな辛いとかしんどいとか怒りとかを持ってるんだろう』『そんなこと言っちゃいけない立場だろうに』と思い、押し込めながらも、どうにもならない『理由がつかない苦しさ』みたいなものがなにか、すとんときて、本当に文字通りほぐされた、と感じました。

辛いとか、苦しいとかのネガティブな感情はあまり出さない、相手にどうにかしてほしいことも率直には言わない、言っても不機嫌になって反論して終わり、溜め込んで怒り任せに伝える、最終的には諦めからか子どもの私に愚痴として伝えられたり、目の前にいるのに私を自分の側につけて文句を言う、が主な風景でしたが、今思えばそれは親、さらにその上の世代の親たちが叶えたくても叶えられなかったパートナーとのやりとり、相互作用でよりよく変化する関係を諦めて達した姿だったのだろうか、とも思いました。子どもの頃もいやなら離婚すればいい、と思っていたし言ってきたけど、やってほしくない方法で目の前で繰り返される風景でした。それが、自分自身が小さな子どもを育てるライフサイクルとなり、実家で過ごしてもまだまだあり、自分が大人になった分容赦なく披露されている感じがあり、また専門職や後で得た知識も踏まえて夫婦間をどうにか変化させないと!などと踏み込もうとして、また無力感と怒りに苛まれていました。かつては過保護さから逃れたかった子どもだったはずなのに、今度は自分が過保護な保護者のように両親に入ろうとしたので、そりゃ無理だったよな、と、合宿を経て腑に落ちて納得して諦められそうです。

もし前の世代達が願って叶えられなかったパートナーシップの姿があるとしたら、そんな中でも変化してきたことや、相手の原家族から学ぶ良きところに注目して新しい家族、パートナーシップの形を、パートナーと共に模索していきたいと思います。

どうも私自身は前の各ライフサイクルの課題を積み残しているものが多く感じでいて、やはり単に家族メンバーの数や種類だけでは言えないなぁ、と、他のライフサイクルにいらっしゃる方々が既に達成しているものも感じ、色んな示唆を得ました。一気に飛び越えることはできませんが、程よく軽やかになった心とあたまとともに、これから少しずつ今の家族これからの家族に目を向けて歩んでいこう、と思います。また凝りが溜まったら今度は高山村の古民家に、身体も含めて解放されにいきたいなぁと、それがあると思って臨床も日常の身の回りのことも過ごしていきたいです。

田村のリ・リフレクション)人生で初めての体験を得られてよかったです。「心のコリ」は個人の心の中にあるのでしょうけど、家族システム全体を見渡すとコリの全体像がよく見えますね。そこに気づき、そこから自由になると、心が軽くなり、可動域が広がり、楽に動かせるようになると思います。

ジェノグラム合宿では、今までのことを整理する中で親に改めて感謝が湧いてきたり、相手の実家についても、苦労されたんだなとか思えたり、新たな感情や、今迄気づけなかったことを発見したり思い出したりできました。
何より家族の課題が明確になり本当に素晴らしい時間でした。
特に今回は参加される方が少なかったということで沢山時間をとって検討頂けたことがとてもありがたかったです。
また、多くの悩んでいる家族にこういう機会があれば多くの方が救われるだろうなと思いました。

田村のリ・リフレクション)これまで「ジェノグラム合宿」は主に支援者をターゲットにしてプログラムを作ってきました。最近は、当事者の方もよく参加するようになりました。当事者の方々も参加しやすいプログラムを今後作っていきたいと思います。

家族と向き合うことは私の中で最大の葛藤であり、今まで誰にも打ち明けられずにずっと心の奥底にしまいこみ,見ないようにしてきたものでした。それゆえ合宿が始まって自分の番になるまでは、話したら「今までと家族に対する接し方が変わってしまうのではないか」、「自分が破滅してしまうんじゃないか」と怖さでいっぱいでした。でも,最初こそ何をどこから話せばいいのかわからなく1人プチパニック状態で始まった時間でしたが,不思議と話したいことは自然に出てきて、話している間は先生や他の参加者の方々は穏やかに見守ってくださっていたこともあり、緊張は和らぎ安心して話すことができました。

この安心して話すという体験や、それぞれのエピソードを聴く側と話す側の両方の体験を持ったまま同じメンバーで日常生活に戻るという体験は、気持ちを出すことによる変化を恐れて自分に蓋をし続けていた私にとって,こんなにさらけ出しても良い意味で「人はそう簡単に変わらないのかもしれない」という感覚を初めて与えてくれました。泣いて感情を露わにした後でも温かいご飯を囲んでみんなでお話できるし,私の発言がつたなくてもみんな穏やかなままだし、これはきっと同じ屋根の下で過ごすという古民家宿泊だったからこそ得られたものなのだと思います。

私にいただいた時間の中でも、「もし自分がいなくなったらどうなると思う?」と先生に問われた瞬間は、「私がいなきゃ家族がバラバラになっちゃうから無理だよ!誰かがその役割をやらなきゃいけなくなっちゃうじゃん!なんでそんなわかりきったこと訊くの!」と思っていた私ですが、先生や参加者の方々との関わりを終えて、「いなければいないでどうにかなるんだな~背負いすぎてたかも」と案外さっぱりと受け入れることができました。「そこまで家族に費やさなくても大丈夫だし,自分には自分の人生があるんだから離れてもいいんだよ」とメッセージをもらえた気がして、「家族もそう簡単に崩れたりしないのかも」と思うとこころが軽くなったような気持ちでした。

何よりも人生で初めて自分を暴露して,破滅なんてしなかった安心感と気持ちに触れてもらう嬉しさに話し終えて数日間はハイテンションでしたが、落ち着いた今思うことは、暗いところに押し込めて動くことを私自身が拒んでいたこころに少し光をあててもらえて、この合宿に参加してよかったなとということです。これを機に自分の気持ちにもっと触れてあげたいです。でも、急にマッサージ屋さんにはなれないから、また合宿に参加してほぐしていただきつつ、いつかは自分自身であったり他の人をほぐせるような人になりたいなと思います。田村先生をはじめ、先生の奥様、今回ご一緒させていただいた方々、あたたかな3日間をありがとうございました!

田村のリ・リフレクション)この方、合宿の始めはとても緊張されていました。それが、後半にはとてもリラックスしてテンションも高くなりました。凝っていた心がよくほぐされ、解放されたようです。自分でマッサージの効果を体験すると、他の人の心をよくほぐせる支援者になるでしょう。

合宿では、私自身の家族も開示します。妻はセッションには参加しませんが、夕方には一緒に温泉に出かけ、古民家で食事を共にします。3時間×4回のセッションだけでなく、2泊3日の生活全体が合宿です。妻には負担をかけてしまうのですが、人と人とが触れ合う大きな安心感の中で進めていきます。

家族ミーティングと古民家療法

家族ミーティングも開催されているようなんですが、話す内容はどんなことですか?

家族のこと、自分のこと、、、何でも構いません。
前もって、何を話そうかと考えなくて構いません。

参加してみたい。。。

という気持ちだけ持って参加してください。
ミーティングの場に来て、その時の雰囲気や気持ちで、話したいことがあれば、自由に話してください。
特に話したいことがなければ、他の方のお話を聞いていてください。

、、、でも、どんな雰囲気なのですか?
みなさんは、どんな話をするのですか?

では、参加した方々が送ってくれた感想を紹介します。
これらは、以前のブログに挙げていたものです。

本日はじめて参加しまして、どのような形でどんな事を話すんだろうかと内心ドキドキでしたが、蓋を開けて驚きというかあの場所いた皆様のおかげでもありますけど、心の扉がスーッと開けると思ったのが最初の感想です。よく外国映画などでこのようなミーティングシーンを見ますけど、まさかこんな近くにあるなんて思いもしませんでした。
皆さん立場・状況は違えども、基本悩みは点と線で繋がる気がしました。他人事とは思えない悩みを通じて自分を客観的に芯から返り見る事が出来、これからの思考や行動にプラスを与えていただきました。今まで自分一人で悩んで苦しんでいた事を後悔しました。

初めて参加される方のほとんどはドキドキに緊張されています。これは、こころが閉じている状態なんですね。こころを開いた方が良いとはわかっていても、とても怖くてできません。

それがミーティングでなぜか自然にこころが開かれ、人と繋がると、緊張が解け、安心感が生まれます。そして、前に進む元気が出てきます。

初めてお目にかかる方々でしたが不思議と自由にお話しできました。皆さまからのお話しに気づいたこともあり、また後で自分の話したことについても振り返って考えることもありました。声に出して話し、聞いていただいたことで何かが変わったのか、高山村の自然と古民家の温かさからなのか、とても元気になれました。

「古民家療法」とは、みなさんがこころを開けるための安心と温かさのことです。

何か特別な心理学やカウンセリングの理論や技法ではありません。私自身の経験と体験から自然に生まれてきたものです。既存のカウンセリング理論を参照しながら解説することは可能ですが、そのように理論化することが目的ではありません。体験してもらうことが目的です。

今回のミーティングでは、繋がりについて改めて学びました。
数日前に日常生活で心情が波風立つ出来事がありました。そのことを皆さんに打ち明けて、そして皆さんから反応をもらって、とても安心しました。そして、参加者の方もおっしゃっていましたが、参加者の方々と共通することを感じて「繋がり」を感じました。この「繋がり」が安心するんだと改めて実感しました。
自分の中でどこか残っていた不安感が安心になるのを感じました。安心を感じるということは癒しにもなりますね。ああ、だから私は毎回ミーティングで元気をもらって帰っていたのかと合点がいきました(笑)

つながりが安心を生みます。
そして、安心が元気を生みます。

ただ、それだけのことなんです。

なぜ?どうして?

理屈で考えようとしても難しっくてさっぱりわかりませんが、
それを実際に体験してみれば、ごく自然で、易しいことです。

今日の話題は自分にとっても未解決な部分に踏み込むこととなり、それなのでかえってとてもシンプルに当事者としてそこにいることができました。そこで語っていると、自分がどうしたいか見えてくることに気づきました。
私は、私らしく生きたい。
私らしいって何だろう?
、、、と思うところはあるのですが、今わたしはやはり自分の生きたいようには、生きていないんだろうなということを今日はっきりと感じました。
田村先生には、もっとありのままで生きなさいと言われてきたと思います。
一方で、そんなの無理でしょう、社会的役割があるのだから、と思ってきた自分もいました。
新たなというか、今更ではありますが、目標が見えてきた気がしています。

だれでも「未解決な部分」は持っているものです。
解決できないから、そこに入り込むこともしません。
ミーティングの対話の中で、ふとそこに踏み込めば、新たな光で映し出すことができます。
だからといって「未解決」がすぐに「解決」するわけではありませんが、少なくとも「解決」への糸口を見出すことができます。

 古民家の玄関から土間に足を踏み入れると落ち着く感覚には、いつも不思議さを感じています。この空間の中で、今日も本当に心のエネルギーになる言葉に出会うことができました。
 参加者の方から「一歩を踏み出す」お話がありました。それを聞きながら、私の中では 「踏み出す」= 当然「前へ進む」ものと勝手に解釈していたのですが、他の方から「その一歩を踏み出すのはあなたにとって、横(右?左?)ですか? それとも 後ろとか斜めもありますね〜?」。。。の一言に
「え〜? あ〜?お〜?なんだ? そうですよね? 一歩を踏み出すって 前だけじゃないですよね!    それもOKですものね!」(と、私の心がガランガランと鐘を鳴らしていました)
もしかしたら、そんな事は考えなくても普通にできていることだから、今更そんなふうに驚くなんて不思議ですが、とにかく私の中ではブラボーでした。
 生きづらさを抱えた家族との生活は、本当に必死で大変なんです。それでも無理やり笑顔を作って生きていることもあります。そんな中、一歩でも前へ進むことが(良いほうへ向かってくれることが)親としての使命感にも近いものがあったのかもしれません。
 今はこうして、田村先生のもと安心できる場所で 、古民家の包容力と言葉の力を頂きながら、少しずつ少しずつしなやかに生きていければと願った一日でした。

みなさん古民家で不思議な体験を得ます。
しかし、その魔法の種明かしは、言葉ではできないのです。
なぜなら、その魔法は理屈ではなく、感覚だからです。
それは五感を通して得られる安心感という感覚です。

古い古民家の黒ずんだ太い梁や柱、、、
新しくリノベーションした土間の心地よさ、、、
昔、お蚕さまを飼っていた古民家の広い二階の空間、、、
裏の小川と竹林から流れてくる新鮮な空気や鳥のさえずり、、、

そのような古民家のセッティング(環境)が大きいと思います。

もうひとつ大切な要素が、私が古民家でどのような気持ちで生活しているか。
その安心感をどう来てくれた人たちに投影しているか。
集まった人たちが、どうお互いの気持ちを伝え合っているか。
そのような目に見えない人の気持ちの伝達を「古民家療法」では大切にしています。

この一年間こちらの研修会に参加させて頂いて、当初よりだいぶ自分の気持ちが変化したと感じます。最初は「当事者だから」という心境で、支援者の方に自ら壁を作ってお話を聴いていた部分がありましたが、今では支援者の方、当事者の方という立場をあまり気にせず皆さんのお話を聴いている自分に気づきました。こちらの会に参加することで参加者の皆さんと関わることで自分の癒しになっているのでしょうか。安心感を感じる場があることは確かに感じています。

私は支援者(カウンセラーや医者など他者を支援する人)だから。。。
私は当事者(自分と家族のことを語りたい人)だから。。。

みなさん自分はどちらかに属すると思ってミーティングに参加します。
あたかも違うカテゴリーに属するようなつもりで。
しかし、実際には同じなんですよ。
人は皆自分の人生を生きる「当事者」でもあり、
人と関わる「支援者」でもあります。

このミーティングでは、誰も「当事者」として自身を語ります。
私は支援者だから、、、
私は当事者だから、、、
と壁を作る必要もなく、ありのままの自分でご参加ください。

オンライン参加と現地参加
どちらでも参加できます。
当初は現地参加のみでした。オンラインでは、古民家が醸し出す安全なセッティングは得られないだろうと考えていました。
しかしコロナ禍の副産物で、みなさんオンライン(zoom)でのコミュニケーションに慣れ、現地の安全な雰囲気をオンラインでも伝えられるようになりました。
都合がつけば、現地までお越しください。
日常を離れ、高山村の古民家にいらっしゃること自体に癒しの効果があります。
都合がつかなければ、オンラインでも大丈夫です。