第1回ジェノグラム合宿

先週末、今年第一回目のジェノグラム合宿を行いました。
その様子をご紹介します。

まず始めに私の方からこのような説明をしました。

Youは何しに高山村へ?

心のパンツを脱ぐ

2泊3日の合宿は、とても濃厚な時間です。
ジェノグラムを描きながら家族の関係性とそこに含まれる感情を浮き上がらせ、可視化します。それは自分自身の経験とそこに埋め込まれた感情に向き合うこと。ふだん意識される表面の感情の下に埋もれている感情まで掘り下げます。

参加者からのリフレクションを紹介します。

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人の人生を味わう
 そんな時間が古民家のゆったりとした流れの中で進んでいきました。これまで自らの人生や家族について誰かに語ったことはないことに気付いたと同時に、語ることで自分の人生も味わっているような感覚がありました。生まれてきてから自分が見てきた家族像と、その中の自分が感じてきた違和感。そしてその違和感は、家族の中で創り出されたシステムでもあるということ。合宿が終わり、自分のセッションをジェノグラムと共に振り返る中で、これまで自分の葛藤の対象は父や母と思ってきていたけれども、そうではなくてそこで創り出されてきたシステムなのかもしれないとふと思いました。システムに惑わされて、個人としてつながることを避けてきたのではないかと。合宿の数日前に思いがけず生まれた母との時間が、自分にとってどんな意味があるのか分からずにいましたが、もともとあったシステムをぶち壊してこれまで変わらないと思っていたものを変化させた心地よさもあったのかもしれません。合宿を通して、様々な人生を味わい、自分の人生についても前向きになっている自分がいると今感じています。まだ長期宿泊はできないですが、これまでよりも自分も楽しく付き合えるかもしれないです。

 今回は初めての参加でしたが、不思議と緊張感はなく、むしろ3日目のチェックアウトのときには終わってしまう寂しささえ感じました。これは、古民家、田村家の方々、そして参加者の方々の創り出したものなのだと思いました。すごく貴重な非日常の体験をありがとうございました。

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私の話についてみなさんは言ってくれたのだけれど、私にそんな力量はないと思っていました。
でも、みなさんのジェノグラムをお聞きして自分の考えを言って「私の言葉が心にぐさっときた」などの感想を聞く中で、もしかしたら私はそれなりにアドバイスできるのかなと思いました。
そんな時、田村先生が「〇〇さんならできるじゃないの」と言ってくださり、少しは成長しているのかなと思えました。
3年前、対応に苦しんでいて田村先生の夏合泊に申し込んだけれどコロナで行けなくなり、今まで教わったことを整理して対応したらまわりが変化して動き出しました。これは、学び続けたことについて振り返り、自分なりに整理を深め立ち向かったからだと思います。
夏合泊って不思議で、ある意味、成長した自分を仲間や田村先生に見てもらいたいという思いと今後の自分について考える場だけじゃなく、田村先生の家で安心して心を開く、奥さんが笑顔で迎えてくれてふるさとに帰ってきたなという懐かしい思いになりました。大きな家族というか心の家族というか・・みんなとあの時一緒に自己洞察を深め自分と向き合う時間を共に過ごしたからまた頑張れる、そしてまた会いたい。そんな気持ちになります。

子育ては夫婦の会話が何気ないことだけれど子供に影響している…
相手を思いやる心の余裕、木だけじゃなくて森を見て・・そんなこともみなさんのお話をお聞きしていて思いました。

1回の参加じゃなくて数回参加することで自己洞察も深まる。ひいては支援者としての質の向上につながる…
現場での課題を自分の心に置き換えて考えられたら、心の問題に対応できる支援者の育成につながるんじゃないかなって… 思います。
このように、一緒に過ごした3日間だけではなくその後も考えを深める濃厚な夏合泊でした。
遠くからでも参加する価値はあります。
衣食住一緒に過ごす仲間とそして父と母のように受け入れてくれる田村先生や奥さんと共に考える時間はすごいなあと… 改めて思いました。

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「家と命の2重らせん構造と生き方:身体の中と外の入れ子構造」

 毎年恒例の夏合宿に参加しました。
 田村先生とパートナーさんの住む古民家は、恐れ多くも、もはや実家に帰ってきたという感覚すらしています。今回は、数年前に草津にある別荘で開催されたジェノグラムでご一緒した次男さん(当時は高校生で、今は立派な社会人)ともご一緒できて、勝手に親戚の叔父さん的な気持ちも体験できました(笑)。

 さて、今回の合宿で過去を振り返り、今を見つめ、そして未来について考えることをテーマとしていた私は、家族や親族との関係、そして未だご縁のない子どもの話を中心にしました。特に子どもの話では、自分の子どもが欲しいという私のこだわりも話しました。この話をしている中で、「自分の子どもではなく、養子でも良いのではないか」という提案もありましたが、瞬時に「選択肢にはないな」と思いました。200%その選択肢はありませんでした。その一方で、私のセッションの中では、参加者の多くの方が、私が養子を迎えて親になることを薦めているような印象があり、違和感を持ち続けていました(注:このような提案をして頂けるのは、ボクなら親をできるのではないかと期待して下さっているからだと思っているので、参加者のみなさんの気持ちは有り難く受け取っています)。でも、なぜ、自分が自分の子どもにこだわっているのかわからずに説明ができないまま、セッションの終了時間がきてしまい翌年までの宿題になりました。合宿に参加して以来、初めての体験でした。

 合宿終了後、ひょんなことから参加者の1人とLINEのやりとりをしました。厳密に言えば、私の不全感に巻き込まれて付き合ってくれたということだと思います。その方とアフターセッション的な感じでお互いに感じていたことをシェアしました。やりとりを重ねる中で、私は自分の心の奥底に眠っている言葉に気がつきました。それは、『私は子どもを残したいのではなく、血を残したい』のだということです。

 10代の頃の話ですが、私はそれまでに経験してきたさまざまな家族や親族を巡る葛藤に嫌気がさし、過去の関係やしがらみを全てぶった切り、私が全てを仕切り直し、再スタートさせることを誓いました。その後、十数年の時を経て、人生のパートナーと結婚することができましたが、結婚後8年経っても子どもとの縁はありませんでした。この合宿に参加する直前のタイミングで、別の業界のメンターが、DNAを宇宙の歴史と血脈の2重らせん構造で捉えることができることを教えてくれました。その時に、私はハッとしました。血脈をぶった切るマインドセットをしていたと。歴史的な連続性を受け入れていない、こんなマインドセットの私と子どもとの縁が結ばれるわけはないなと妙に腑に落ちました。そして、妻に対して申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。私のせいで、結婚後8年に渡って、しなくてもいい悲しい思いをさせていた可能性があるのですから・・・。

 以前から私の血を分かつ子どもが欲しいと思っていました。この合宿で話したこともありますし、その時に、オンラインで参加して下さった方から「健康的な考え方ですよ」と言って頂き、ホッとしたことを覚えています。

 「私の子どもを残す=血を残す」という意味は、メンターの言葉で変わり、今回の合宿とアフターセッションで整理し直すことができました。昔と今では、180度捉え方が変わりました。父親や父親の親族との葛藤が全面的に出ていた当時の私は、彼らの生き方を全否定することでこれまでの関係を精神的に断絶し、一族の再生を誓っていました。私は、私の血を分かつ子どもを育てる中でこれまで一族が作ってきた関係とは違う関係性を作り、そのような関係を作るだけの力があるのだと一族に見せつけるために、下世話な言い方をすれば、マウントを取るために血を残すことを必要としていた側面があったことは否定できません。だからこそ、自分の血を分かつ子どもでなければ意味がなかったのです。そりゃあ、子どもが親を選べるとしたら、絶対にそんな親の元に生まれてきたくないですよね。生まれる前から家族・親族葛藤に巻き込まれているんですもん。勝手にやってろって、感じでしょう。

 では、今のボクはどうなのか?合宿中にも話したとおり、父親に対する葛藤は絶賛継続中ですし、鬼籍に入った他の親族に対する葛藤もないこともないですが、「まぁ、彼らなりに頑張ったよね。頑張った結果がこれだけど、仕方なかったのよね」ぐらいで受け入れることができています。さらに、宇宙脈と血脈の話も併せて考えると、「一族が一族なりに頑張って受け渡してきたバトンを受け取って、次世代に受け渡しますよ。たぶん、みなさんのやり方とは違うと思うけれど、ボクなりに精一杯やりますよ」という考えに変わっています。今の私は、断絶の後の再生ではなく、一族がつないできた命のバトンを受け渡すために、自分の子どもが欲しいと思っています。だからこそ、自分の子どもとの縁が結ばれなければ、それは運命と受け止めて、妻と2人で残りの人生を歩いて行けばよいのだと思っているのです。

 とはいえ、急にマインドセットを変えても、どう生きていったら分かりません。これまでと同じやり方でよいのか、新たなスタイルを気づき上げる必要があるのか、それすら分かりません。絶賛混乱です。田村先生は、「私自身が、よくわかっていないよね」とコメントしましたが、まさにその通りです。明確な理由はないのですが、今年に入ってから、怒りを原動力にした生き方(=一族と敵対的な関係で生きていくこと)に、漠然と限界を感じ始めていました。とはいえ、高校生以来、身体に染みついている怒りを原動力にした生き方以外にどうやって生きていったらいいのかがわかりません。だましだまし合宿までやりくりをしてきたのですが、これでいいのかわかりません。

 しかし、今ならわかります。合宿中のみなさんに頂いた言葉やLINEでやりとりした言葉の中で、これまで通り、家族や友人、教え子などの人とのつながりを大切にしながら、学生さんのお手伝いや論文執筆を一生懸命しながら、臨床家のひよこや論文という子どもを世に送り出しながら、社会に役立つことができれば良いのだと思いました。

いつもの自分が戻ってきました
まぁ、なんとかなるっしょ。

 今回は、テーマが壮大すぎたのか?合宿中にはテーマの整理がしきれませんでしたが、アフターセッションを強行したおかげでスッキリできました(笑)。来年は別のテーマで参加できそうです(笑)。

 こうやって改めて整理すると、今回のテーマは、DNAの2重らせん構造と命のバトンというテーマになるかなと思いました。では、なぜこのテーマになったのか? これは今回の合宿を古民家で体験したからだと思いました。現在、田村先生ご夫妻が生活している古民家は、建てられた当初から長年にわたって生活者を見守り、現代では田村先生とパートナーさんの生活を見守っています。古民家の視点から生活者をみてみると、特に命を紡ぐ男性と女性は、次世代の子どもの命とともに、家の命を紡いでくれるDNAの2重らせんのような存在に思えました。この体験は、自然豊かな高山村だからこそできた気づきだと思います。来年は、どんな気づきがあるのか、今から楽しみです。

P. S. LINEに付き合ってくれたお友達へ

 アフターセッションでの言葉の1つ1つが、僕にたくさんの気づきを与えてくれて、今回の合宿でちりばめられていた欠片が1つにつながりました。ありがとうございました。僕にこれだけの気づきをもたらす君は、自分が思っている以上に力があるよ。自信を持って頑張ってね。そして、これからもよろしくね。

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3度目の合宿に参加しました。
今年も大好きな場所で、参加者の皆さんとの繋がりから生まれる温かさに触れながら、自分自身について深めることができました。
特に今回は、心の奥底にあった傷にしっかりと触れることができました。これは痛くてたまらない作業ですが、安全な環境で、田村先生やみなさんの温かさに包まれていたからこそ、できたことだと思います。
また、他の参加者の方のセッションを通して、自身のセッションの捉え方が大きく変わる経験をしました。
と言うのも、私は、いつか結婚することができたら、今までの家族と自分はなかったことにして、新しい家族や自分をスタートさせると決めていました。私にとって結婚は人生をリセットさせるための手段だったのかもしれません。
一方で、私の考えを変えた参加者の方は、家族と再び繋がることについてお話されていました。その方のお話を聞いているうちに、いかに家族と繋がりながら今の気持ちに折り合いをつけるかということを軸に自身の課題を考えるようになりました。
これらことを踏まえて、今回は「心の傷を癒す」と「家族からの自立」という2つの視点から感想を書いてみようと思います。

心の傷を癒す
 私には父との思い出したくない過去の記憶があり、今回もたくさん泣きました。
セッションが終わった直後、3回目なのに、同じことを話して、同じところで泣いて、同じことで悩んで、自分もまだまだだなという感覚があり、少し落ち込みました。
一方で、私にとって父との記憶はそれだけ痛いもので、許せないことで、涙が流れることなんだとも思いました。今まで、「私はもう父に振り回されていない」と思いたくて、父への怒りを抱えている自分を認めたくなくて、父への怒りや恐怖をちゃんと言葉にしませんでした。でも、今回は田村先生に、父に対する気持ちに触れていただき、今まで以上に父への恐怖や怒りを素直に表現できました。そして、田村先生から「怖かったよね」と言って頂いた瞬間に、やっと分かってもらえたという気持ちになり、心の中に当時の幼い自分が出てきて、一緒に涙を流している感覚がありました。私の中で当時の自分は、ずっと心の奥底の暗闇で体育座りをして下を向いていました。でも、今の自分が、当時の自分の感情を素直に受け取って表現してあげたら、当時の自分が報われ、やっと顔をあげてくれたような気がしました。
そして、いつか当時の自分が、今の自分のに追いついた時、やっと私が1つになる様な気がしました。あとどれくらい泣くのか分からないけれど、少しずつ向き合って、今の自分の所まで引っ張り上げてあげたいです。

家族からの自立
 「家族からの結婚の圧がしんどい」という話をしたはずなのに、その裏には「家族からの自立」という、いつもと変わらないテーマが隠れていました。
 父から「もう言うことはない」と、ずっと欲しかった言葉をもらったのに、いざ受け入れようとすると恐怖が出てきて受け入れられませんでした。恐怖とは、私が父から自立することで、私の成長や成功を生きがいにしていた父から生きがいを奪い、孤独にさせてしまうのではないかという恐怖と、自分自身も独りになってしまうという恐怖です。私は父との関係に恐怖や嫌悪を感じながらも、父との関係の中に自身の存在価値を見出し、父のために頑張ることで父とつながっている、家族と繋がっているという安心感を得ていたのだと気が付きました。
歪んでいても、父と繋がることで、「家族の一員になれた」という感覚を得ていたのかもしれません。
そして父も、私を自分の理想に近づけ、成長を感じることで、娘と繋がっている、家族と繋がっているという安心感を得ていたのかもしれません。25年間も父とそんな歪んだコミュニケーションを続けてきた私は、そこから抜け出す怖さが強くありました。私にとって父の言葉を受け入れることは、25年間の父と私にお別れをして、家族の一員になることを諦めるような感覚がありました。
一方で、父は私に「もう言うことはない」とキッパリと言いました。きっと、言うまでに相当な勇気が必要だったのではないかと想像しました。父は私よりも先に、私の手を手放してくれたのだと思います。そんなことを考えていたら、父の言葉を素直に受け取っていいのかもしれないなと思うことができました。
また、歪みながらも父と生きてきた過去があったからこそ、私は人や心について考えるようになり、心理学という好きなことを見つけ、素敵な人たちと繋がり、楽しく過ごすことができていると思うと、父への怒りも少し和らぎました。そして、今を楽しんでいる自分を振り返ると、父からの壮大な課題は達成したのかもしれないと思うことができました。
25年間の父と私を否定して断絶するのではなく、歪んだ繋がりの中で懸命に生きていた父と私がいたからこそ、今の自分があり、そして未来に繋げることができる、と考えることができました。
私は、父からの壮大な課題に、自分の手で繋いできた私の25年の人生を提出し、「もう言うことはない」という100点以上の言葉をしっかり受け取って、25年間の父と私を手放します。
これから、父とどんな関係を築いていけるのか、とても楽しみです。

この文章を書き終えて、やっと頭と身体が軽くなりました。

最後に、自分自身と向き合う私を温かく見守ってくださった、田村先生、パートナーさん、参加者の皆さん、高山村の自然、、本当にありがとうございました。
私は、またしばらく頑張ることができそうです。

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私が田村先生の合宿に参加するのは、今回が4回目でした。
ジェノグラム合宿は、家系図を通して参加者のファミリーオリジンを振り返るもので、最初に参加した時は「田村先生がどんな風に家族療法を進めているのかをライブで体験したい」という目的でした。
2回目、3回目の参加は2020年でしたが、この時私は無期限の休養中で、このタイミングで改めて自分のことを深堀しようと短期間に集中して自分のあり様を見つめ直そうとしていました。
今思えば、「自分のどこが悪かったのか」「どうしたら人に自分のことを理解してもらえるのか」といったことの答えを見つけようとしていたように思います。
そして、今回3年ぶりに高山村に行くことを決めたわけです。

小沢健二さんというシンガーソングライターがいらっしゃいます。
90年代に「渋谷系の王子様」として絶大な人気を誇っていましたが、98年に突然ニューヨークへ旅立ち、2017年までほとんどマスメディアに出ることなく、実質芸能界引退のような生活ぶりでした。
私は、もうテレビでオザケンを見られる日は来ないんじゃないかと思っていたのですが、2017年に新曲「流動体について」を引っ提げて日本に戻っていらっしゃいました。
90年代のオザケンは世間に求められるままにたくさんの楽曲を世に送り出していたのですが、自分の中にあるものを全部出し切って、大衆社会に消費されつくしてカラッカラになり、日本にいられなくなって外国に行ってしまったのではないかと私は想像しています。
そのオザケンが、私がお休みしていた2020年に「彗星」をリリースしました。
日本を発つ前に「ある光」で(この線路を降りたらすべての時間が魔法みたいに見えるか 今そんなことばかり考えてる なぐさめてしまわずに)と他人に引かれた路線から離れ、「流動体について」でカムバックし、「彗星」で今の自分の暮らしを宇宙の中で起こった奇跡として自分の力に変えていく流れを自分の人生に重ね、オザケンがどうやって復活していったのか研究?したりしていました。
その間、田村先生のところで自己分析という名の個人スーパーヴィジョンを受け、世の中のしくみについて知るために様々なジャンルの本を読み、これまでの自分のやり方から新しいやり方へリニューアルする準備を進めてきました。
2022年から社会生活の中でお休み期間中に学んだことを実践し始め、自分なりに復活してきた今のタイミングで一番大変だった時に励ましてくれたり、話を聞いてくれた合宿仲間の皆さんに会いたいと思って、4回目の参加申し込みをしました。
今回の合宿は、私にとって「リニューアルした自分のお披露目」が目的だったのです。
あの時、力になってくれた人たちに、元気になった自分を見てもらいたいし、お礼を言いたいという気持ちでいっぱいでした。
家族歴は散々振り返っていたので、これまでの自分の臨床歴を通して、今の自分がどこに向かって歩いていこうとしているのかを伝えることに時間を使いました。

合宿に参加を決める方は、みんな、何かしたら目的を持って高山村に来ているようです。
他の参加者の話を聴いているうちに、徐々に自分の中に眠っているものが感化され、思いもよらなかった方向に何かが動き出すこともあります。
そのプロセスは痛みを伴うかもしれませんが、自分の宝物になります。
何度か繰り返し参加することで、自分や参加される方々の経年変化を味わえるのも合宿の醍醐味ではないでしょうか。
高山村で、このメンバーで合宿できた奇跡を、宇宙からの贈り物として自分の力に変えて、明日からの生活に生かしていこうと思います。

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再び田村からre-reflection)
合宿の最後にチェックアウトと称して3日間の振り返りをしました。その際、「少なくとも2−3日経ってから、まだ言いたいこと、伝えたいことがもしもあったらメールで送ってね。ブログに紹介します。」と伝えました。
その結果がこれです。これほど長く、深いリフレクションは予想していませんでした。
合宿の3日間は、各自の物語をたくさん語り、たくさん聴きます。リフレクションでも匿名を担保しながら深くたくさん語ってくれています。そういう意味では合宿の雰囲気を物語っています。

人と人との深い情緒的な関りはリスクを伴います。
うまくいけば、深いレベルで結びつき大きな喜びを得ます。
しかし、うまくいかないと、大きな傷を受けます。
人と深くかかわることはとても怖いことです。
合宿の中で、安全感を確保しながら、ゆっくりと私との関り、そして参加者同士の関りをどれほど深めてゆけるか。決して無理をしてはいけません。各人が持つキャパを越えると不快を感じ、無理をすれば傷つきます。
それを安全に遂行できる環境を整えるのが私の役割であると思います。

人と関わることのキャパを少しずつ広げることができれば、より自由に、世の中の多種多様な人たちと関われるようになれます。それはdifferentiation of selfともいえます。

合宿は私自身にとっても深い体験です。
参加者の体験を深めるには、私自身の感情体験とも深く向き合います。それは私にとってもチャレンジであり、うまく成就すれば喜びとなります。私にとって、合宿はそんな体験です。