新年のデジタルご挨拶

今年の私の年賀状をご紹介します。

ここ数年は私から年賀状を出すことはなく、頂いた人にお返事を書くだけにしています。それでも60枚くらい年賀状をいただきこのような文面でお返事しました。
今のようにネットが盛んでない以前は毎年300枚くらいいただいていました。
その数の多さで関係性の広がりを推し量っていました。
今はFacebook の友だちの数かもしれません。約千名くらいです。

新たに知り合った人との年賀状のやり取りはほとんどなく、ほぼ全部が昔の知り合いたちです。
私が15〜35年前に大学で教えいていた教え子たちは30〜40代になり、子どもたちの成長の写真を送ってきます。なぜか自分自身ではなく子どもの写真です。
昔の患者さんたち。
高校・大学の同級生やクラブの仲間、若い頃活動した「日米学生会議」や「青年の船_の仲間
たち。
みな、一時期、深く交流して、様々な意味で心が結びついていた人たちです。
きっとあの頃、私に恋愛感情を抱いてたんだろうなぁと感じる人や、中学生の頃、好きだった同級生の女の子(今はおばあちゃんですけど)ともやり取りを続けています。
結局、過去の関係性を反芻しているだけに過ぎないのだと思います。
それはそれで大切なことなのでしょうが。

安否確認
私を大学教員として採用してくれた深谷和子先生が亡くなりました。享年88歳。
教員時代は同じ講座の先輩教授として大変お世話になり、家族ともおつきあいさせていただきました。退職後は一度もお会いする機会はないまま、この20年間、毎年年賀状の交換をしていました。年末に書かれたであろう年賀状にはいつもの達筆で一言書き添えられていましたが、娘さんの連絡によれば、新年に急逝されたそうです。
会うことのない昔の知人との年賀状は、まだ年賀状を書けるくらい元気で生きていますよという証明だったのかもしれません。毎年来ていた年賀状が来なくなったということは、元気でなくなったという知らせになってしまうので、毎年送り続けているのかもしれません。

営業活動
銀座にオフィスを構える弁護士さん。かなり以前に一度会っただけだが、年2回、暑中見舞いと年賀状が送られてきます。
ハガキの文面いっぱいに、仕事の小話を書いてきます。
今回は、複雑な家系の遺産相続で大変だったというような話。
もう一人、大学教授の仲間で、今やっている活動について細かい字でたくさん書いてきます。
お二人は70-80代。文面も宛名も印刷されて、手書きの「ひとこと」はありません。
弁護士さんは仕事の営業活動、元教授は退職しても「講義」をやっているのでしょう。弁護士さんの話は面白いのでひと通り読むけど、元教授の文章は読む気がしません。
私は年賀状をもう少し私信と捉え「ひとこと書く」派なので、こういう年賀状はイマイチ、、、と思うのですが、よく考えてみれば、私もまだ仕事をしているので、顧客獲得のために、「こんな診療をしました」的な年賀状を今後も継続するのもアリかなとふと思いました。

アナログからデジタルへ
羽田空港の衝突事故の記者会見で、日本航空の赤坂祐二社長が管制とのやり取りが“アナログ”なことを挙げ「音声によるコミュニケーションはリスク」だと指摘しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0dfa90f43c7e293ff515ec3c8bba4d1aaa667cb8

飛行機官制も年賀状も、アナログ時代から引き継いだ伝統をデジタルに変換するのは大変なのでしょう。
アナログが劣るわけではありません。アナログの良さもあります。気持ちや親密性を載せるにはアナログが有利だと思います。
しかし、デジタルの方が簡便性、情報の量や正確性などでは圧倒的に優れているのも事実です。
と言う訳で、私のアナログ年賀状は廃止して、ネット上のご挨拶にします。
、、、このように長い言い訳を書き連ねるのも、元大学教授の悪い癖ですね(笑)。

と言う割には、私が思い描いているほどデジタルの情報発信が出来ていません。
・ブログをもう少し頻繁に書きたいと思います。
・メルマガも充実させたい。
・「note」にも古民家療法について書き進めたいのですが、筆が止まってしまっています。
・Facebookは割と頻繁に記事を載せていますが、TwitterやInstagramは登録しているものの、ほとんど使っていません。
この辺りをもう少し充実させたいと思います。
、、、と毎年言っているような気がします(反省)。

 

第3回ジェノグラム合宿

合宿のふりかえり

2023年10月7-9日に高山村の古民家で今季3回目の合宿が行われました。
参加者は4名。
現地参加が3名、オンライン参加が1名
初めて参加した人、何度も参加している人など様々です。
合宿期間中に今シーズン初めて薪ストーブに火を入れました。

毎回そうですが、合宿で語られる内容はかなり深いです。
私は学生時代に「夏合宿」がありました。
高校は山岳部。大学はアメリカンフットボール部。
夏合宿の期間中は泊まり込み、普段の活動以上にハードで体力の限界まで挑戦します。
ジェノグラム合宿はもしかして心の限界までちょうせんしているのかもしれません。

今回は、「怖さ」の話がよく出てきたと思います。
人と関わることの「喜び」とその対極にある「怖さ」。
本当は大切な人と繋がりたいと願います。
それが成就されると大きな幸せにつながります。
私自身も大切な人を失い、また獲得するなかで、実感してきました。
しかし、繋がろうとする行為は怖いものです。
相手の本当の姿を見るためには、自分も本当の姿を見せないといけません。
無視されるかも、否定されるかも。。。
そうなったら、とてつもなく深い痛手を負います。
合宿でも同じことです。
自分の本当の姿について、本当の輪郭について、包み隠さず語り合いました。
そして参加者みんなで共有します。

合宿後、数日たち、熱気が冷め、気持ちに残っていることがあったら文章化してみてとお願いしました。

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自分を含めて「恐怖感」ということが多く語られた3日間だったと思う。
「恐怖」は過去から現在、そして未来へも繋がってるように感じるし、どこかでリセットしたり放すことも必要なのだろう。
その場所とタイミングを個々が探している。それは決して1人で出来ることではなく、「共有・共感」されながら安心して行われる空間で「誰か」にいてもらえるから可能にもなるのだろう。

「人に寄り添う」際には語り手も自分もリスクを伴う。
語りを受け止めイメージする。それは、自分の想いを脇に置いて語り手の想いにきちんと共感し、困難を乗り越えてきたという物語を共に眺めるような感覚かもしれない。

私には「怖いこと」が多い。
その怖さを受け止めた上で今を生きている。
この瞬間、突然、失うかもしれない大切な存在を、「言葉」と「日常」、「自らの生き方」を以って、今日という1日を紡ぎながら何年か過ごしている。私は傍にいながら、その命のナラティブの中に加わり関係を保てているのかと、常に不安なのだ。故に「言葉」と「態度」には細心の注意を払う。「傷つくこと」、「言えないこと」、「否定される」、「受け止められない」そんな苦しさや辛さ、孤独などの深い闇を味わい尽くしている。反面、その中には優しさや奥深い美しさもある。それを認めながらも「わかってくれない」と命を断たれてしまいそうな日々。平常心でいることの難しさも感じるし、苦しくて誰かに助けを求めている。
「最悪のシナリオ」にならないように、私は自分の形を変化させながら、「あなたの苦しみやしんどさ、辛さを一緒に傷つきながら受け止め、あなたは悪くない」と伝え、自信を持って生きるように見守ることしかできない。時には激しい自己分裂も感じる。
それは、自分自身のネガティブな感情を安全に抱えながら生きていく力を共に探しているようにも思う。「剥がす」のではなく、「自分でゆっくり剥がせる」ように。

と同時に、私も含めた個々の人生にも向き合わなくてはならない。
その中にはどうしても見え隠れするキーパーソンや圧力がある。
いつ、どういう形で侵入されたり突撃されるか、壊されるかと怯えている。
それでも関わり、関わり続けていくものでもあり、その新しい形を模索してもいる。

私はチャレンジしたいことも大好きなこともたくさんあって、それは支えでもあり、「今出来ること」を続けてもいる。結果がどうなるかは分からないけれど、それは強みにも大きな力にもなるはず。根拠なんていらないし、他の誰かが信じてくれなくてもいいのだ。
自分が楽しむこと。
それが個々の立場によって、相互作用の中でどう映り、どう感じるのか、影響するのだろう。
私は誰かの人生を羨ましいとも思ってはいない。未来を自分で作っていくために自分が動いて悩み抜いている。
それには「今」を「共有」される「つながり」を欲していただけなのだろう。
それが思いもよらず色々な状況から新たな「恐怖」に変化したことも紛れもない真実となり、私の中には大きな落とし物にもなった。
私自身の視野狭窄だったり、課題の1つであることも真実なんだろう。
本質の問題と向き合わなくてはならないような事柄が起きていることは、「生きたい」という強いメッセージかも知れない。
そう感じた3日間だった。


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第2回ジェノグラム合宿

先週末、今年2回目のジェノグラム合宿を行いました。

今回は1泊目を温泉旅館泊
2泊目は高山村古民家泊
としました。
温泉旅館は温泉にたっぷり入れて、美味しい食事も楽しめました。


温泉街も散策しました。
高山村では、前回と同様、夕食は庭でBBQをしました(写真)。

今回は参加者が3人と比較的小人数で慣れた人たちでもあったので、古民家で宿泊したほうが落ち着くという感想でした。
私の感想としても、少人数で支援者向けのジェノグラム合宿は古民家で、
人数が多く、当事者向けの家族ミーティング合宿は個別の部屋がとれる旅館の方が良いかなと感じました。

3日間の合宿を終えた後の振り返りです。

ジェノグラムを描きながら、家族の関係性を見える化(可視化)していきます。
ふたつの軸が見えていきます。
1)世代をまたぐ親子関係のタテ軸
2)夫婦・パートナー関係のヨコ軸
前回の参加者は20・30歳代、今回の参加者は50・60歳代と年齢層が異なりましたが、年齢を問わず、このふたつの軸は生きています。たとえ親世代が死んだとしても、心の中の家系図では生きています。
そして、別々のはずのこの二軸がいかに関連して結びついているのか。
そこに気づき、自分自身で受け入れていく作業がとても重要であり、関係性の中に生きる人間としての自分自身の成長に、そして家族療法家としてのスキルアップにつながります。

合宿終了時の振り返り (YouTube)https://youtu.be/fCoP93Ijx48

参加者からの振り返りを紹介します。

YOUはなにしに合宿に来た!?
今回のジェノグラム合宿の参加目的は明確でした。
パートナーの彼女と一緒に参加する予定のジェノグラム合宿、その彼女と合宿前に彼女が私に対する不安と不信感からお互いの関係にみぞが出来てしまい、それをなんとか修復するきっかけを手掛かりを私はこの合宿で得たい。

そんな思いを持って合宿に参加する直前に一緒に参加する予定だった彼女が体調を崩してしまい急遽1人での参加となってしまいました。
楽しみにしていた合宿に出れなくなった彼女の悔しさ、ショックでいっぱいの彼女が私に「これもチャンスだから1人で行って、ありのままの自分を出して来て欲しい」と言ってくれたのですが私は寂しい気持ちを抱えての参加でした。

自分がいないからこそありのままの気持ちが出せることをわかってそんな言葉をくれる彼女、
それが彼女の数ある素晴らしい魅力の一つです。

私は今回の合宿で1人だからこそより心のパンツを脱いでこようとの思いで参加いたしました。今回の合宿は田村先生のルーツである四万温泉での一日目、私は彼女と一緒の予定だった部屋に1人での寂しさと彼女との関係のキレツの不安、どこまでこの合宿で自分が変わることができるんだろうとかいろいろな気持ちから初日はほとんど寝れませんでした。
(鍾寿館の食事は美味しかったです。)
翌日、私のジェノグラムの番で自分の気持ちを心を素直に正直に出したいって気持ちで取り組んでいくそんな気持ちでしたが彼女がいないとより自信を持って心のパンツを脱げる自分がいてそこが私の1番の問題だったってことに後から気付きました。

書いたジェノグラムから出てくることは彼女との関係の事ばかり、彼女とこうなったいきさつ
彼女の気持ちを感じて共感出来なかった自分、焦りばかりでなにも出来なかったむしろ空回り
していた自分、足らなさ、弱さ彼女を安心させる力が欲しい。

そして 湧き上がる感情は
彼女のことが大好き!
大好きなんです!
その感情がどんどん溢れてきて私は泣いてしまいました。
そして最後に先生が私のジェノグラムに【「好き」も「不安」も愛情表現】と書いてくれました。その言葉の意味は合宿後わかったんですが、終わった直後、私は「こんなんでいいんだろうか」「何がわかったんだろうか」とずっと疑問を抱えていました。
それで先生に合宿後、個人カウンセリングをお願いしようと話したら先生が「もう大丈夫ですよ」と言ってくれまして、その言葉の意味をずっとジェノグラムを見ながら思い出しながら
いたら「はっと」思いました。
彼女の気持ちに自信を持てない自分がいてその自信の無さから彼女の気持ちを伺っていたということ
彼女が私に不安に感じていることはそんな優柔不断な私だったのかということを。

合宿の後、自信の無さ不安の気持ち感情はなんだったのか合宿後に彼女から気付かされました。
それは自分が一番見つめることが怖い言葉 考えたくない言葉
「彼女に捨てられるかもしれない」という不安が彼女を不安にさせていたことを。
彼女のことが大好きゆえに出てくるそんな不安が彼女を不安にさせる。
今まで気付けなかったそんな感情をジェノグラム合宿と彼女が私に与えてくれました。
そしてそれを感じ得た自信を持って大好きな彼女をずっと愛していきたい気持ちでいっぱいです。

いろいろ忙しい中、合宿をやってくれました先生の奥さん、合宿最中いつも彼女の話しばかりしていた私に笑顔で付き合ってくれた参加者の皆さん、そして大きな気付きを与えてくれた田村先生、それに彼女。
今回の合宿で得れたことは本当に大きかったです。


 昔から祖父母宅のような古民家が好きでずっと参加したいと思っていた念願が叶い、高山村ジェノグラム合宿に初めて参加しました。
 次の日から仕事が始まり、会議の合間に、職場の片隅でリフレクション。今回、田村先生を通じて知り合った方に聴き取っていただき、田村先生に「高濃度家族」と命名された私のジェノグラムを眺めている今の気持ちは、穏やかな風が心の中を吹き抜けるような爽やかな気分です。きっと、今の気持ちをありのまま受け入れてもらえたことでそうした爽やかさを感じているのでしょう。
 結婚で原家族との生活から出るまで、私を寡黙にさせた母や姉妹達は、多分、私の人格形成に大きな影響を与えたことは間違いないけれども、彼女達との確執は、実は私にとってもう大分終盤にさしかかりつつあるような気がしてきました。約20年前に亡くなった母方の祖父母の存在とかかわりの中で育った私は、母や姉妹といつもどこか異なるように感じながら生きてきましたが、その母も徐々に認知症も進み、それに伴い毒舌は減ったものの、相変わらず、会えば自分の歪められた過去を半ば恨み吐き捨てるような言葉を投げかけてきます。私はいつものように黙って寄り添っていますが、母と接する自分の内面には明らかに変化が生じたと、感じています。つまり、母のいつもの昔話を聴いていても、戦中戦後のそんな時代に幼少期~思春期だったのだから諦めようとしても諦められないほど悔しい思いをしたのだろうなと、何だか受け流して聴けるように感じるのです。言葉ではなく母の存在そのものとして受け入れる準備を始めた自分を感じるようになりつつあるようにも思います。

 「よくしゃべる」と言われても、まだまだ話してないことがいっぱいな私の中にはもう、次回を楽しみにしている自分がいます。
 帰りに高山村の道の駅で、大自然をバックに参加者の方と共に自撮りした写真の表情は、解毒作用が効いた満全の笑みでした。引き合わせ下さって感謝しています。帰宅して一目散にしたことは、トーストにあんこをのせたパンを調理して食べること。これがまた美味しかった。私の中ではまだまだ熱冷めやらぬ化学変化が起こり続けています。
 田村先生、奥様、色々お気遣いいただきありがとうございました。参加者の皆様、本当にありがとうございました。
 非認知能力が大人になっても伸びることを、今自分が立証したい気分です。


古民家マジックと田村マジック

田村先生のSVを受けた後は、いつも真っ直ぐ家に帰ることができません。心の中にぶくぶくと湧き上がったいろんな思いを、全部昇華させてしまわないと、なかなか日常に戻れないのです。なので、途中でコーヒーを飲んだり、公園でしばらくぼーっとしたりして帰ることが多いのです。しかし今回はさすがに2泊3日、しかも仲間がおりすぐにその場で感じたことをシェアできることは、合宿で経験したことをさらに深めたり、違う視点で考えることができ、大きな安心と深い学びにつながりました。
今回特に印象に残ったことは、田村先生が「偶然を呼ぶセラピスト」だということです。
学生の時にある先生が、カウンセリングをしていると時々、これは神の采配としか思えない瞬間がある、それは例えば、「蝉が突然鳴き出した」とか、そんなことだったりすると言われたことがありました。田村先生との師弟関係の中で、以前にもそれに驚いたことはありますが、今回も田村マジック見せていただきました。合宿のメンバーはそれぞれ自分の都合で申し込み、申し込んだ後でしか誰と一緒かはわかりません。しかし、今回のメンバーはいつもオンライングループでご一緒する人たち、キャンセルが続き3人だけ、そして同年代でもあり、さらに同室となった方は同郷でもありました。地元の言葉で語る思いは、やはりより素のままでいられることは言うまでもありません。そういった、田村先生が意図していたわけではない総ての偶然が、緊張の糸を緩め、つまらないプライドでカチカチに固まっている心を解きほぐしてくれるのでしょう。合宿で自分は一体どんなに緊張するのだろう、自分のジェノグラムではぐだぐだになってしまうのではないかしら?と心配しつつ参加したものの、今回はむしろ終始自然体でいることができ、ほぐされて帰ってきたように思います。人生の四季の、秋から冬へと差し掛かろうとする時期の、いわゆるアイデンティティクライシスとでも言える今日この頃の自分に、利害関係の全くない方々からしっかりと受け止められたと感じられたことは、どれほどの心地よさと安心感を与えられたことでしょうか。「その場を創出してしまうこと」が、田村マジックなのだなぁと思わされました。
そして田村マジックを創出するもう一つの仕掛け、それは古民家です。四万温泉の旅館は居心地よく、お風呂でゆるゆると過ごし、来年もここで合宿がいいなぁと思いつつ一泊目を過ごしたのですが、温泉を散歩しみんなでランチしてついでに温泉まんじゅうも買って、とヘラヘラと古民家に戻ってきて、セッションを行う土間に座った時から、胸の中がしんと静まるのを感じました。あぁ、古民家セラピーが始まるんだなという思いをしみじみ感じました。田村先生と奥様とで丁寧に生活を紡いでおられるからこそのその場所が、疲れた心におかえりと言ってくれていました。自分の気持ちがさっと切り替わったその瞬間のことが、窓から見える青空と柿の木の枝葉の鮮やかさと共に、今も画像として時々頭に浮かんできます。
肝心のわたしのジェノグラムですが、家族療法を学び始めて四半世紀のわたし。もう語り尽くし、自分の家族一人一人への思いはわかりきっている、と思っていたのに。最近めっきり認知力の落ちた、けれども今でも美しい母の若かった頃の話を語っているうちに、いつも母の顔色を伺って生きてきたちいさな自分を思い出し、思いがけないところで涙が溢れました。お父さんの実家でも喜んでよかったんだよね。我慢してたんだね、頑張ってたんだね、もっと甘えたかったんだね、ほっと安心したかったんだね。かわいそうだったね、わたし。
わたしの前に語られた方のご家族の構成や状況が、とてもわたしとよく似ているのにそちらは超濃厚家族、わたしの家族はまるで対比させたかのように希薄でありながら蜘蛛の糸のように細く絡み合い、わたしは今もまだ翻弄されていることを思い知りました。まだまだジェノグラムをしっかり辿る必要がありそうです。

時々田村先生が疲れて外に出てしまうぐらい、語る語る語る合宿でした。
とてもお忙しい中、温かく場を提供し、笑顔で迎え、送り出してくださった奥様に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。
そして、田村先生、というわけでまだまだお世話になります。
今後も田村マジック、期待しています。
合宿メンバーのお二人へ。
言葉にできない絆を感じます。ありがとう!!餡LOVE