2025年第一回のジェノグラム合宿に参加したみなさん、お疲れさまでした。この3日間を振り返ってみたいと思います。なぜ合宿をやるのか、私の考えを紹介したいと思います。
アポンテ著「人としてのセラピスト養成モデル」星和書房、2024年。「人として、専門家として、自分の弱さや葛藤をセラピーの資源として使えるようになる」
合宿でやっていることはここに書かれていることに近いです。対人援助の仕事をやっている我々はどうやって人を支援できるのか。相手の人との安心できる信頼関係を作ることが一番の基本です。そのために必要なことがこのモデルです。人の体験を聞いていると自ずから自分自身の体験が出てきて邪魔してしまい、苦しくなったりイライラしたり落ち込んだりします。そのために自分の体験を整理します。
愛着理論はご存知だと思います。幼い子どもが親との関係の中で愛されて、ケアされ、安心できる関係の中で人は成長していきます。心の中に人は自分をわかってくれるんだ、生まれてきて良かったなぁという安心の原型(鋳型)を作ります。それがあれば大人になってからも大丈夫ですよという考え方です。これはボウルビイ、ウィニコットなどイギリスの学者が考え出しました。それは心の形成過程としての幼少期を重要視する考え方(三つ子の魂100まで)につがなります。私はその考え方を拡張したいと考えています。
愛着理論は、乳幼児心理学のテーマですが、青年期の課題である自立・成長、あとカップルセラピーでは夫婦間の愛着へと発展してきました。文化の差として、欧米的な個人主義の考え方は、人は自立して独立している。しっかりした自分(自我)を持つことが大切とされます。私はサメとイワシの比喩をよく使いますが、サメは強くて一匹狼で生きていきます。イワシ(鰯)は漢字の通り弱いから大群を作って生きています。アジア的な集団主義の考え方は一人では生きてきけない。イギリスの考え方の根底には、幼少時の体験を通して、自分の中にうまくやっていける仕組みを作るという、個人主義の根底をなしている。
人は強いものではありません。だからこそ強くなろうと努力するのですが、いくら強くなっても弱いものです。ひとりぼっちでは生きていけません。関係性の中で生きています。関係性が人の幸せや不幸を左右します。合宿の冒頭にお話しした私自身の経験からも、人とうまく繋がっていない状態はとても辛く苦しい状態でした。人との関係性には3種類あります。
1)愛着関係がない孤独の状態
2)プラスの愛着関係 (secure attachment)
3)マイナスの愛着関係 (insecure attachment)
安心できる関係性の中で人は逆境に向かいがんばる力(レジリエンス)を発揮できます。
安心できない関係性の中で人は狂ってしまいます。さまざまの精神障害や問題行動を呈します。
それは子供時代のみならず一生付きまとうものです。子供時代に愛着の原型が決まるのではなく、愛着は「今ここで」の状態に常に作用されリニューアルされます。それは個人中心の心理学ではなく、家族療法などの根底にある人との関係性の心理学の考え方です。関係性の中でも最も重要なのが家族関係であり、友達関係も、職場での関係も、学校でも同様です。
支援関係も同様です。その中で安心できる関係を作れるかどうかが支援の質を決定します。支援を求めてくる当事者たちの多くは不安な関係性の中にいます。人も信用できないし、攻撃してきたり。そういう人たちに安心の文脈をどう作っていけるかがある意味とても難しく、とても重要です。
安全な関係とはどういうことでしょうか。相手を無視することなく受け止め、理解して、認める、承認される関係性です。人は良い面、イヤな面の両者を持っているけど、それが全て受け止められるような関係性です。その逆に安心できない関係性とは、相手との間に壁を作ったり、否定したり、自分のイライラ感を相手に投影したりです。「依存」は支え合うという意味で必要なことですが、それが過度だとお互いを束縛してしまいます。否定的な気持ちを伝え合ってしまいます。人は良いところだけでなく良くないところも持っています。そういう人を認められるのでしょうか?いくら理屈で「共感する」ことの重要性を理解しても、感性(気持ち的)としてうまくいきません。体験が必要です。他者を丸ごと認め受け止めるためには、自分自身を認め丸ごと受け止めることが必要です。それは一体どういうことでしょうか?
合宿ではみなさん心を開く体験をしたと思います。良いところばかりでなく自分や家族のイヤところ、ダメなところ、よくないところが見えてしまいます。普通それは見たくないから閉じてしまう。それを認めるのは怖いです。自分にダメ出しをしているようなものですから。でも人は弱いものですから、嫌な自分も含めて自分なんですよ。イヤな自分を認めることができればイヤな相手を真に受け止めることができます。
自分の心を開くためには安心できる環境が必要です。この作業は一人では困難です。日記を書いたり、一人でやろうとしますが、そういう自分を認めてくれる他者が必どうしても必要です。みなさん合宿で心を開けば泣いたり怒ったりいろいろな気持ちが出てきます。心のオデキの比喩「綺麗(安心)な診察室ならメスを入れるのは痛いけど、心のおできを開いて海を出すことができ気持ちが楽になります。恥ずかしいな、劣っているなと思っているところも自分で認められる。その部分を取り除く必要はありません。そういうところがあって良いのです。それができると、相手の嫌なところも認められるようになる。人に「共感する」ということは、「自分の体験」を参照する。自分の体験に蓋をしてしまったら、人の心に共感することは無理です。自分の心を開くことは、行う前はとても怖いことと感じますが、実際にやってみればそんなに怖いことではないはずです。
合宿の場ではファシリテータの私自身が自分を認めていることが必須です。そのやって安心な場を作り、安心して心を開けたのだと思います。自分の全てを開く必要はありません。少しずつでも、部分的にでも、開く体験を通して対人援助がとても楽になります。人が生きるということは苦しさの連続です。それを受け入れれば、幸せを感じることもできます。体験することが必要です。本を読ん、講義で学んで心理学の理論を理性で理解することはできますが、感性を磨くためには自分の感性を使った体験が必要です。合宿は自分自身を再体験し、受け止めるという作業です。

