マイペース・マイスペース

本日、沼田市のお寺の本堂で、ひきこもりの支援者たちが主催した映画とトークイベントが開催され、私も妻と一緒に参加してきました。

映画「マイペース・マイスペース」ではひきこもりを経験した当事者たちが安心できる居場所を見出し、ゆったりマイペースで活動している様子が映されています。引き続き、当事者の方ひとりが自身のひきこもり体験と現在の活動を心情豊かに語ってくれました。
参加する前は、きっとそれほど多くの人は来ないのではと想像していたのですが、その予想を裏切り、会場は満員でした。
当事者の語る話はとても説得力がりました。
少し前までは、支援者や専門家が客観的・科学的に語る話がメインでした。しかし、最近では「べてるの家」や「オープン・ダイアログ」などの実践をはじめ、当事者たちが主観的に自分の経験を語り始めました。それは聴く人たちの主観に強く働きかけます。
支援者の方々は、サポートするひきこもり当事者が医療に繋がってくれるとホッとすると言います。もちろん医療は役に立つと思いますが、ひきこもりは薬で治す病気ではありません。
回復のために一番役に立つのは支援者や家族など人との繋がりだと考えています。
ひきこもりの根本にあるのは関係性における傷つきです。家族や学校・職場、友だちなど近い人との傷つきが不安を生み、それを避けるために人との関りを避けます。
ひきこもりが関係性によって生じるのであれば、ひきこもりから回復するのも関係性の力です。安心できる関係性が安心できる居場所を生み、人との関りを取り戻すことができます。
それは家族や支援者や仲間たちなどです。家族や支援者が安心して当事者と関わるために、一番大切なことは自分自身の当事者性に気づき、それを受け入れることです。当事者・支援者という区分けは恣意的なものであり、人はみな苦しんだり喜んだりする心を抱えた当事者であり、だからこそ他者の心を受け入れ、安心を与える支援者でもあります。
今日の映画や当事者の声は、参加した皆さんの安心を生んだと思います。

グループSVの参加者から

今日で2025年度のSVは終わりです。ご参加ありがとうございます。みなさんにとっての体験はどうだったでしょうか?全体を通しての振り返りがあれば紹介してください。前期が終わる時にも同様なお願いをしてブログにあげました。

・ケースについてやりとりすることの大切さ
・あたたかい空気感・雰囲気
・間違っても恥をかかせない安心感
・ケースを立体的に見られるようになる感覚
・多様性に富む視点
・家族療法を再確認する場
・ケースをまとめる過程で得られる新たな気づき
などが私の印象に残りました。

毎回、こうやって振り返るのも大変ですし、書きたい人だけで結構です。人は何か心が動いた時、それを表現したくなりますよね。あまり動いていないのに何か書こうとしてもあまり出てきませんから無理せずに。何か書きたいことが出てきたらお願いします。もうちょっとこんな風にしてもらいたいという要望もどうぞ。

スーパーヴァイザーとしての私(田村)の振り返りとしては、、、
やはり家族療法的な視点をお伝えしているんだろうなと思いました。
ほとんどの場合、支援を必要としている人、問題を持っている人は「個人」ですから、我々は一生懸命にその個人のことを理解して、支援しようとします。でも、ケースをまとめたり、私からの視点を参照してもらうと、ケースにピッタリ張り付いた立ち位置から、鳥でもドローンでもいいですが、上空から(少し離れた立ち位置から)全体像を眺めることができます。問題を持っているのは個人ですがその周りの関係性(家族や学校や地域やら)が見えてきます。見えたのはいいのだけど、じゃあどうやって関係性を支援するのだろうか?
そのあたりに焦点を当てる場合が多いように感じました。

再び田村です。みなさんのreflectionを読んで、re-reflectionです。
一般的に、SVで事例を提示する中で、事例そのものに焦点が当たりがちです。私はスーパーヴァイザーとしてSVを行っている時、スタンドアローンの事例そのものだけでなく、「クライエントとセラピストとの関係性」、さらには「支援者としての自己」にも焦点を当てます。対象であるクライエントの特性を理解することばかりでなく、支援する自己の特性を十分に理解することが、支援者としての本当の成長につながると考えています。
日本語が拙くても全く問題ありません。
私の英語が拙く、自信を持てなかった英国留学時代を思い出します。英語が母国語の同僚たちのように自由に自分を表現したり、相手の言っていることがよくわからなかったり、辛い思いをしました。でもそれで構わないと思います。同じ母国語どうしのコミュニケーションでも自分を表現できなかったり、相手の言っていることがわからないことはよくありますから。

合宿の参加者から

昨年9月、群馬県高山村にある思春期・家族精神科医・田村毅先生の「たむらたけしこころの診療所」で開催された「家族療法 ジェノグラム合宿(こころのパンツを脱ぐ)」に参加しました。2泊3日、円座になり、ジェノグラム*を媒介に自らの家族について語り合う時間です。「話す」と「聴く」を丁寧に分けた対話の積み重ねは、静かで、かつ深く心に残るものでした。

参加者は臨床心理士、ソーシャルワーカーなど、対人支援に関わる方が多く、古民家をリノベーションした診療所に宿泊しながら学生時代の合宿のような雰囲気で過ごしました。近くの温泉に入り、夜は奥様の手料理やバーベキューを囲み、自然と交流が深まりました。とてもあたたかく、心がゆるむような時間でした。

診療所の周囲は自然豊かな山間部です。こんにゃく芋の畑や大きな栗の木、竹藪のそばを流れる小川など、豊かな自然に囲まれています。猛暑日が続いた9月でしたが、高山村ではクーラーが不要なほど涼しく、古民家の診察室に置かれた薪ストーブの姿を見るだけで場があたたかく感じられました。安心できる環境の中で語ること——その「場」の力を、身をもって体験した時間でもありました。

これまで私は、支援の場で相談者のジェノグラムを描くことはあっても、自分自身の家族を丁寧に描き、語ることはしてきませんでした。リフレクティングを受けながら家族の物語を見つめ直すプロセスは、家族システムを少し外側から眺め、再び意味づけていく作業のようでもありました。繰り返し語り、聴いてもらう中で、家族関係をより立体的に、そしてどこかやわらかく捉え直せたように感じています。

合宿後、日常の臨床に戻った私は、目の前の親子を「二人」としてだけでなく、その背後に広がる家族の文脈ごと想像するようになりました。パートナー、祖父母、きょうだい——家族システムの力動は、母子の相互作用にも静かに影響しています。そしてその物語は、丁寧に聴かれることで、はじめて姿をあらわします。

小曽根 秀実『家族、対話、母乳育児』ぐんま母乳育児をひろめる会ニューズレター第22号より一部転載