夢は破れるのが良い

夢を叶えられず、破れても構わないんだよ。というか、むしろ破れたほうが良いんだ。その方が人間として成長できるんだ。

20代後半のおまえらからすれば、パパが 「スーパーエリート」に見えるのはよくわかるよ。夢を実現したように見えるかもしれない。おじさんもそうだよな。スーパーエリートで。

夢って何になること?
無邪気な子どもの頃はプロ野球とか、お笑いタレントとか、大谷翔平とか、ケーキ屋さんとか花屋さんとか、最近ではユーチューバーとか、プロゲーマーとか。子ども自身が単純に楽しんでいる仕事。それくらいしか知らないから。
中学・高校生くらいになると多少世の中がわかってくるから医者、弁護士、大学教授、大臣、外交官とか。そういうのになれば、良い人・偉い人と単純に思えるわけ。
そういう意味ではパパもおじさんも夢を叶えたように思えるだろ。
よく、スポーツ選手が子どもたちに「夢を持ちましょう」とか言ってるじゃん。夢が叶った人はそういうよね。夢を持てば努力ができて、人間が成長できるから。もちろん夢を叶えることじゃなくて、辛くても前に進みなよと言いたいのはわかるけど。
でも本当は、夢が破れるからこそ成長できるんだよ。

じゃあ「夢」ってなに?
特定の職業とかではないよね。
自分に〇をつけるか(肯定)、バツをつけるか(否定)だと思うんだ。
でも、自分勝手に判断しても意味がない。自分だけじゃない、客観的な準拠枠(frame of reference)が必要なんだ。それは社会一般に通用している価値:医者とか外交官がイイとかだね。まあ分かりやすい基準枠だけど、、、。でも実際はそんな単純なものじゃない。もっと身近な基準枠を利用しているんだ。自分の大切な人がバツを与えるかマルを与えるかによるんだ。身近な人の期待にこたえられるかということかもしれない。家族とかだね。

ママの兄貴はチョー優秀で、じいちゃん・ばあちゃんは息子のことを誇りにしてたから、ママも兄みたいになりたくていつもその後を追っていた。でも、兄と同じ高校に落ちて、大学も兄の行く東大に落ちて、就職も第一希望の会社に落ちて、第二希望の会社に行ったんだ。ふつう上智大学は十分すぎるほどステキなんだけど、ママにとっては滑り止めの挫折(バツ)だったんだよ。
東大に行けば夢が叶うのかって単純に考えるけど、東大ですら挫折体験にもなるんだよ。ある人は「私、ネコ文二なんです」とか言っていた。つまり、東大の学部の中で比べているんだろうね。きっとそういう家族なんだよ。
はたからみれば十分にマルがつく立派ことをやっているのに、なぜか自分(時には自分の家族にまで)バツをつけちゃって、メンタルやられて苦しんでいる人たちがいるんだよ。パパはそういう人たちをたくさん診てるからね。パパの友達で医者になったり大学の教授になったけ、うつ病になっちゃったり自殺した人もいたよ。

ウチは学歴家族だったから、学歴によって夢が叶ったり敗れたりするんだよ。それは高校だったり、大学だったり、大学院だったり。
パパは大学医学部で挫折したよ。だから精神科を選んだ話は前に書いたとおり。イギリス留学だって夢が叶ったように見えるけど、挫折したから帰ってきたんだ。本当はもっと長くいたかった。
おまえらも知っていると思うけど、前にお付き合いした人は海外に留学して、成功して、そのまま現地に残って立派な仕事をしているよ。でもパパとの関係は挫折してしまった。もっともパパが悪かったんだけど。
ママと結婚する前の若いころ、パパは何度も恋愛に夢破れたよ。もう恋愛なんて二度とやらないと思って5年間くらい恋愛を遠ざけていた時期もあったよ。自信がなかったんだろうね。
ママが亡くなった後も、何度か女の人とお付き合いして夢が叶うかなと期待して、敗れたことがあったよ。
でも、今はパパが幸せなのはおまえらもわかるだろう。幸せだから、自分が不幸だった時代も認められるし、不幸を経験したから、幸せがどういうものかって実感できるんだ。

おまえらはまだ若い。人生の前半戦もまだ終わっていない。
いまだに夢を追い続けていても良いよ。さらに成長する可能性を追求するのも。現状に満足してはいけない。自分を磨くためにね。
でも、いつか夢が破れる時が来るからね。
夢が叶わず破れたって良いんだ。
人として真価が問われるのはその後なんだ。
夢に到達できない未完成の自分を受け入れるんだ。でも、そこから次の人にバトンタッチしていくんだ。それなりに磨いた自分を人に分けていく。

まず大切な人を作りなさい。
その人に自分の全てを見せるんだ。良い部分ばかりを見せたってダメだよ。そんな嘘はすぐにバレるからね。ダメな部分、恥ずかしい部分もちゃんと見せるんだ。自信がなくたっていい。それでいいんだよ。100%自信のカタマリの人の方が怖いだろ。
大切なのはその部分を大切な人にちゃんと見せられるか。それはとても勇気のいることだね。それができて、相手が受け止めてくれた、バツの部分がマルに変わるんだよ。オセロみたいにね。
背伸びする必要はない。等身大の自分で良いんだ。
そのためには相手の姿もちゃんと見てあげるんだよ。
こういうのって、とても恐いことかもしれないね。

失敗を恐れなくて良い。必ずそういう人を得られるよ。
なぜ必ずと言えるのかって?
オマエにはそれだけの価値があるからね。

スキーと家族療法

ここのところ、毎週のようにスキーに出かけています。
スキーをしながら「恐怖心」と「重心のポジション」について、
その家族療法との共通点について考えています。
上級者の急な斜面を見下ろすと、とても怖いです。
理屈で怖くないはずと考えても無理ですね。怖い気持ちは変えられません。
その状態で急斜面に突っ込むと足がすくみ、緊張してうまく滑れません。転んでしまうのが関の山でしょう。
それでも挑戦したい、どうにか乗り越えたい。
一人だとなかなかその勇気が出ないのですが、仲間やスキーガイドが先に滑ってくれると自分でも挑戦する勇気が出ます。
それでも失敗もしますし、時には成功もします。
うまくできたという成功体験が怖さを軽減します。
また同じ斜面に臨むと、恐怖心が前回よりもいくらか薄らぎます。
すると緊張がほぐれ、重心のポジションもうまくとれ、転ばずにうまく滑ることができます。
経験が怖さを軽減してくれます。

家族療法では親しい人と向き合う怖さに出会います。
怒られるかも、怒鳴られるかも、暴力を振るわれるかも、、、という怖さはわかりやすいのですが、
話を聞いてくれないかも、わかってくれないかも、信じてくれないかも、否定されるかも、自分を嫌いになるかも、愛してくれないかもしれない、、、
という怖さはもっと深いものです。自分自身もそのような怖さを持っていると気付きません。
それほど親しくない他人にはそういう気持ちは起きませんが、家族だから、親しい人だからこそ抱く怖さです。
怖いまま相手と接すると緊張して、自分の気持ちをうまく伝えられず、お互いに信頼しあえる良い関係を築けません。
過去に傷ついた経験があると、なおさら緊張します。
それでも大切な家族だからどうにか乗り越えたい。
一人だとなかなかその勇気が出ませんが、信頼できる誰かがそばにいてくれると挑戦する勇気も出ます。
それでもうまく自分の気持ちを届けられず失敗もしますし、時には成功して、わかりあうことができます。
うまくできたという体験が大切な人に向き合う恐怖心を軽減します。
また同じような状況でも、恐怖心がいくらか薄らぎます。
お互いにうまく自分の本当の気持ちを上手に伝えることができるようになり、信頼の絆で結ばれます。

上手に滑るためには、長いスキー板の前後・左右、重心を足の真下の正しいポジションに置くことが大切です。
ポジションをキープすれば困難な斜面でも板をうまく回しスピードをコントロールしながら上手に滑ることができます。
しかし刻々と状況が変化する困難な斜面では、常に正しいポジションにキープするのがとても難しくなります。
怖いとどうしても後傾姿勢になって重心が後ろに移動してしまいます。
反動で前に行きすぎることもあります。
するとスキーを上手に操ることができなくなり、力で回そうとして体力を消耗します。
変化する斜面で常に正しいポジションをキープするのは難しいのですが、それに慣れると体力を消耗することなく楽に、うまく滑れるようになります。

親しい人と向き合うには、自分の不安な気持ちを素直にありのまま、弱さも強さも、相手に落ち着いて伝えます。
簡単なことのようですが、向き合うのが怖いと、不安な気持ちをそのまま伝えるのが怖いので、うまく伝えられず後傾姿勢になったり、
反対に前のめりになることもあります。
不安をイライラや怒りに転換させて伝えてしまいます。
すると相手も怖くなり、うまく受け取ることができず、相手と向き合うことがとても疲れます。
親しい人とうまく繋がると心が安らぎ疲れが取れるのですが、
うまく繋がることができないとストレスが高まり、様々な弊害が出てしまいます。
家族は長い付き合いなので、何度も失敗と成功を繰り返しているうちに正しいポジションどりを会得できます。
しかし、何度も試してもうまくいかないと、人と向き合うことをやめてしまうか、暴力で相手を蹴散らします。
それが家庭の中の暴力や「ひきこもり」に繋がります。
困難な斜面でも正しいポジションをどうやってキープするか。
家族療法はそれを支援します。

2025年の展望

新しい年を迎え、今年の展望をお伝えします。
基本的には去年までやってきたことを続けたいと思います。

古民家での診療
月・火・水が渋川市での保険診療なので、木・金・土・日に畑作業や薪仕事の合間にやってます。渋川市での保険診療はとても混雑していますが、高山村まで自由診療を求めて来る人はそれほど多くはありません。それでも群馬県内ばかりでなく、東京や首都圏からも車でいらっしゃいます。遠くは名古屋から休暇を兼ねて来られた家族もいました。冬の間は冬用タイヤが必須です。
転地療法と言いますが、いらっしゃる方々は高山村古民家の空気に触れるだけで気持ちが落ち着くと言われます。

大森での診療
毎月3日間(金・土・日)の診療を、私が移住するまで住んでいた大田区大森の自宅で行います。東京の患者さん達が落ち着いたらおしまいにしようと思っていたのですが、やはり東京のニーズは高く新患がよく入ります。もうしばらくは二拠点生活を続けます。

オンライン診療
Zoomや電話によるオンライン診療のニーズも高まっています。初回はオンラインで行い、次からは高山村や大森での診療に移行する方もいます。診察室に来る方と自宅からオンラインで参加する家族とを繋ぐハイブリッド面談も行います。

家族ミーティング
毎月1回土曜日の午後に高山村で行います。オンライン参加も可能です。誰でも自由に家族のことを話し合う会です。子どものこと、親のこと、夫婦のこと、、、何でも構いません。ひとりで参加する方が多いですが、親子や夫婦で参加する方もいます。自分は語らず、私と参加者の話を聞いている方や、話すつもりはなかったけどほかの人の話につられてお話しされる方などいろいろです。

スーパーヴィジョン
日本語では臨床指導のことです。支援者の実力を高める目的で、関わった事例についてどう理解したらよいか、どう支援できるかなどについて話し合います。
個人スーパーヴィジョンはスーパーヴァイザーとの一対一の対話です。高山村、大森、オンラインで行います。
グループ・スーパーヴィジョンは5-10人ほどが集まり、ひとりの人が提示したケースについてみんなで話し合います。以前は大森、高山村、オンラインとのハイブリッドで行っていましたが、最近はオンラインで行なっています。

ジェノグラム合宿
夏に年2回ほど、二泊三日の合宿を高山村で行います。家系図を描きながら自分自身の家族について掘り下げます。NHKの番組「ファミリーヒストリー」に似ているでしょうか。有名タレントでもなく、取材するわけでもありませんが、自身の家族体験を語ります。そこから新たな気づきや感動が生まれるのはNHK番組にそっくりです。自分の感情体験を客観的に向き合うことで、支援者として、さらには人としての成長を体験できます。

今年も、高山村を拠点に多方面に活動していこうと考えています。