虐待を乗り越える中学生

中学生のAさん(女性)は父親と共に心療内科を初めて受診しました。
学校から特別支援のクラスを勧められ、医者の診断書が必要とのことでした。
まじめに中学校に通っていますが、人づきあいが難しく、人とどうしゃべってよいか分からないとのことでした。
この年代の子は自分の状況や気持ちを客観的に語ることができません。しかしAさんはとなりに座っているお父さんに気兼ねすることなく私の質問に答え、素直に自分の生い立ちを話してくれました。
Aさんは小さい頃から学校に通っていませんでした。
私)なぜ学校に通わなかったの?
Aさん)親に学校に行けと言われなかったから。。。
Aさんが小学校にあがる頃も、お母さんは毎日酒を飲み、朝も起きませんでした。お父さんとも離婚し、男の人を家に連れ込みいちゃいちゃしたり、男と喧嘩して胸倉をつかんだり。「生きていても楽しくないよ。一緒に死のう」と娘のAさんにも言ったりしていました。
Aさんはネグレクト(育児放棄)で児童相談所に保護され、母親ではなく父親と一緒に住むようになり、小学6年生になって初めて学校に毎日通うようになりました。当然、勉強も、友達との関わり方もわかりません。

:いままでとても大変だったでしょう。よくがんばってきたね!
通常のクラスではなく、少人数の特別支援クラスが適当でしょう。診断書を書きましょう。なにか困っていること、相談したいことある?
お父さん)こんなに話しを聞いてくれる先生だから、何でも相談してごらん!
Aさん)大丈夫です。

人は逆境を乗り越える力(レジリエンス)を持っています。
虐待(ネグレクト)を受け大きなトラウマを抱え、小学校にも行っていなければ、人間関係が複雑になる中学校に適応できなくて当然です。医療機関に連れて来られても、自分を表現できないでしょう。しかしAさんは中学校に通い、ちゃんと自分のことを初対面の私に話すことができます。
Aさんのレジリエンスはどうやって獲得したのでしょう?
Aさん自身の持っている資質なのか?、、、いえ。人は単体でそんな力を引き出せるほど強くはありません。
お父さんとの絆なのか?、、、その可能性が高いと思いました。

人はささいな逆境で折れてしまう弱さも、
逆に大きな逆境を乗り越える強さも、
両方、持っているように思います。

新年のデジタルご挨拶

今年の私の年賀状をご紹介します。

ここ数年は私から年賀状を出すことはなく、頂いた人にお返事を書くだけにしています。それでも60枚くらい年賀状をいただきこのような文面でお返事しました。
今のようにネットが盛んでない以前は毎年300枚くらいいただいていました。
その数の多さで関係性の広がりを推し量っていました。
今はFacebook の友だちの数かもしれません。約千名くらいです。

新たに知り合った人との年賀状のやり取りはほとんどなく、ほぼ全部が昔の知り合いたちです。
私が15〜35年前に大学で教えいていた教え子たちは30〜40代になり、子どもたちの成長の写真を送ってきます。なぜか自分自身ではなく子どもの写真です。
昔の患者さんたち。
高校・大学の同級生やクラブの仲間、若い頃活動した「日米学生会議」や「青年の船_の仲間
たち。
みな、一時期、深く交流して、様々な意味で心が結びついていた人たちです。
きっとあの頃、私に恋愛感情を抱いてたんだろうなぁと感じる人や、中学生の頃、好きだった同級生の女の子(今はおばあちゃんですけど)ともやり取りを続けています。
結局、過去の関係性を反芻しているだけに過ぎないのだと思います。
それはそれで大切なことなのでしょうが。

安否確認
私を大学教員として採用してくれた深谷和子先生が亡くなりました。享年88歳。
教員時代は同じ講座の先輩教授として大変お世話になり、家族ともおつきあいさせていただきました。退職後は一度もお会いする機会はないまま、この20年間、毎年年賀状の交換をしていました。年末に書かれたであろう年賀状にはいつもの達筆で一言書き添えられていましたが、娘さんの連絡によれば、新年に急逝されたそうです。
会うことのない昔の知人との年賀状は、まだ年賀状を書けるくらい元気で生きていますよという証明だったのかもしれません。毎年来ていた年賀状が来なくなったということは、元気でなくなったという知らせになってしまうので、毎年送り続けているのかもしれません。

営業活動
銀座にオフィスを構える弁護士さん。かなり以前に一度会っただけだが、年2回、暑中見舞いと年賀状が送られてきます。
ハガキの文面いっぱいに、仕事の小話を書いてきます。
今回は、複雑な家系の遺産相続で大変だったというような話。
もう一人、大学教授の仲間で、今やっている活動について細かい字でたくさん書いてきます。
お二人は70-80代。文面も宛名も印刷されて、手書きの「ひとこと」はありません。
弁護士さんは仕事の営業活動、元教授は退職しても「講義」をやっているのでしょう。弁護士さんの話は面白いのでひと通り読むけど、元教授の文章は読む気がしません。
私は年賀状をもう少し私信と捉え「ひとこと書く」派なので、こういう年賀状はイマイチ、、、と思うのですが、よく考えてみれば、私もまだ仕事をしているので、顧客獲得のために、「こんな診療をしました」的な年賀状を今後も継続するのもアリかなとふと思いました。

アナログからデジタルへ
羽田空港の衝突事故の記者会見で、日本航空の赤坂祐二社長が管制とのやり取りが“アナログ”なことを挙げ「音声によるコミュニケーションはリスク」だと指摘しました。
https://news.yahoo.co.jp/articles/0dfa90f43c7e293ff515ec3c8bba4d1aaa667cb8

飛行機官制も年賀状も、アナログ時代から引き継いだ伝統をデジタルに変換するのは大変なのでしょう。
アナログが劣るわけではありません。アナログの良さもあります。気持ちや親密性を載せるにはアナログが有利だと思います。
しかし、デジタルの方が簡便性、情報の量や正確性などでは圧倒的に優れているのも事実です。
と言う訳で、私のアナログ年賀状は廃止して、ネット上のご挨拶にします。
、、、このように長い言い訳を書き連ねるのも、元大学教授の悪い癖ですね(笑)。

と言う割には、私が思い描いているほどデジタルの情報発信が出来ていません。
・ブログをもう少し頻繁に書きたいと思います。
・メルマガも充実させたい。
・「note」にも古民家療法について書き進めたいのですが、筆が止まってしまっています。
・Facebookは割と頻繁に記事を載せていますが、TwitterやInstagramは登録しているものの、ほとんど使っていません。
この辺りをもう少し充実させたいと思います。
、、、と毎年言っているような気がします(反省)。

 

第3回ジェノグラム合宿

合宿のふりかえり

2023年10月7-9日に高山村の古民家で今季3回目の合宿が行われました。
参加者は4名。
現地参加が3名、オンライン参加が1名
初めて参加した人、何度も参加している人など様々です。
合宿期間中に今シーズン初めて薪ストーブに火を入れました。

毎回そうですが、合宿で語られる内容はかなり深いです。
私は学生時代に「夏合宿」がありました。
高校は山岳部。大学はアメリカンフットボール部。
夏合宿の期間中は泊まり込み、普段の活動以上にハードで体力の限界まで挑戦します。
ジェノグラム合宿はもしかして心の限界までちょうせんしているのかもしれません。

今回は、「怖さ」の話がよく出てきたと思います。
人と関わることの「喜び」とその対極にある「怖さ」。
本当は大切な人と繋がりたいと願います。
それが成就されると大きな幸せにつながります。
私自身も大切な人を失い、また獲得するなかで、実感してきました。
しかし、繋がろうとする行為は怖いものです。
相手の本当の姿を見るためには、自分も本当の姿を見せないといけません。
無視されるかも、否定されるかも。。。
そうなったら、とてつもなく深い痛手を負います。
合宿でも同じことです。
自分の本当の姿について、本当の輪郭について、包み隠さず語り合いました。
そして参加者みんなで共有します。

合宿後、数日たち、熱気が冷め、気持ちに残っていることがあったら文章化してみてとお願いしました。

——————-

自分を含めて「恐怖感」ということが多く語られた3日間だったと思う。
「恐怖」は過去から現在、そして未来へも繋がってるように感じるし、どこかでリセットしたり放すことも必要なのだろう。
その場所とタイミングを個々が探している。それは決して1人で出来ることではなく、「共有・共感」されながら安心して行われる空間で「誰か」にいてもらえるから可能にもなるのだろう。

「人に寄り添う」際には語り手も自分もリスクを伴う。
語りを受け止めイメージする。それは、自分の想いを脇に置いて語り手の想いにきちんと共感し、困難を乗り越えてきたという物語を共に眺めるような感覚かもしれない。

私には「怖いこと」が多い。
その怖さを受け止めた上で今を生きている。
この瞬間、突然、失うかもしれない大切な存在を、「言葉」と「日常」、「自らの生き方」を以って、今日という1日を紡ぎながら何年か過ごしている。私は傍にいながら、その命のナラティブの中に加わり関係を保てているのかと、常に不安なのだ。故に「言葉」と「態度」には細心の注意を払う。「傷つくこと」、「言えないこと」、「否定される」、「受け止められない」そんな苦しさや辛さ、孤独などの深い闇を味わい尽くしている。反面、その中には優しさや奥深い美しさもある。それを認めながらも「わかってくれない」と命を断たれてしまいそうな日々。平常心でいることの難しさも感じるし、苦しくて誰かに助けを求めている。
「最悪のシナリオ」にならないように、私は自分の形を変化させながら、「あなたの苦しみやしんどさ、辛さを一緒に傷つきながら受け止め、あなたは悪くない」と伝え、自信を持って生きるように見守ることしかできない。時には激しい自己分裂も感じる。
それは、自分自身のネガティブな感情を安全に抱えながら生きていく力を共に探しているようにも思う。「剥がす」のではなく、「自分でゆっくり剥がせる」ように。

と同時に、私も含めた個々の人生にも向き合わなくてはならない。
その中にはどうしても見え隠れするキーパーソンや圧力がある。
いつ、どういう形で侵入されたり突撃されるか、壊されるかと怯えている。
それでも関わり、関わり続けていくものでもあり、その新しい形を模索してもいる。

私はチャレンジしたいことも大好きなこともたくさんあって、それは支えでもあり、「今出来ること」を続けてもいる。結果がどうなるかは分からないけれど、それは強みにも大きな力にもなるはず。根拠なんていらないし、他の誰かが信じてくれなくてもいいのだ。
自分が楽しむこと。
それが個々の立場によって、相互作用の中でどう映り、どう感じるのか、影響するのだろう。
私は誰かの人生を羨ましいとも思ってはいない。未来を自分で作っていくために自分が動いて悩み抜いている。
それには「今」を「共有」される「つながり」を欲していただけなのだろう。
それが思いもよらず色々な状況から新たな「恐怖」に変化したことも紛れもない真実となり、私の中には大きな落とし物にもなった。
私自身の視野狭窄だったり、課題の1つであることも真実なんだろう。
本質の問題と向き合わなくてはならないような事柄が起きていることは、「生きたい」という強いメッセージかも知れない。
そう感じた3日間だった。


—————-