スキーと家族療法

ここのところ、毎週のようにスキーに出かけています。
スキーをしながら「恐怖心」と「重心のポジション」について、
その家族療法との共通点について考えています。
上級者の急な斜面を見下ろすと、とても怖いです。
理屈で怖くないはずと考えても無理ですね。怖い気持ちは変えられません。
その状態で急斜面に突っ込むと足がすくみ、緊張してうまく滑れません。転んでしまうのが関の山でしょう。
それでも挑戦したい、どうにか乗り越えたい。
一人だとなかなかその勇気が出ないのですが、仲間やスキーガイドが先に滑ってくれると自分でも挑戦する勇気が出ます。
それでも失敗もしますし、時には成功もします。
うまくできたという成功体験が怖さを軽減します。
また同じ斜面に臨むと、恐怖心が前回よりもいくらか薄らぎます。
すると緊張がほぐれ、重心のポジションもうまくとれ、転ばずにうまく滑ることができます。
経験が怖さを軽減してくれます。

家族療法では親しい人と向き合う怖さに出会います。
怒られるかも、怒鳴られるかも、暴力を振るわれるかも、、、という怖さはわかりやすいのですが、
話を聞いてくれないかも、わかってくれないかも、信じてくれないかも、否定されるかも、自分を嫌いになるかも、愛してくれないかもしれない、、、
という怖さはもっと深いものです。自分自身もそのような怖さを持っていると気付きません。
それほど親しくない他人にはそういう気持ちは起きませんが、家族だから、親しい人だからこそ抱く怖さです。
怖いまま相手と接すると緊張して、自分の気持ちをうまく伝えられず、お互いに信頼しあえる良い関係を築けません。
過去に傷ついた経験があると、なおさら緊張します。
それでも大切な家族だからどうにか乗り越えたい。
一人だとなかなかその勇気が出ませんが、信頼できる誰かがそばにいてくれると挑戦する勇気も出ます。
それでもうまく自分の気持ちを届けられず失敗もしますし、時には成功して、わかりあうことができます。
うまくできたという体験が大切な人に向き合う恐怖心を軽減します。
また同じような状況でも、恐怖心がいくらか薄らぎます。
お互いにうまく自分の本当の気持ちを上手に伝えることができるようになり、信頼の絆で結ばれます。

上手に滑るためには、長いスキー板の前後・左右、重心を足の真下の正しいポジションに置くことが大切です。
ポジションをキープすれば困難な斜面でも板をうまく回しスピードをコントロールしながら上手に滑ることができます。
しかし刻々と状況が変化する困難な斜面では、常に正しいポジションにキープするのがとても難しくなります。
怖いとどうしても後傾姿勢になって重心が後ろに移動してしまいます。
反動で前に行きすぎることもあります。
するとスキーを上手に操ることができなくなり、力で回そうとして体力を消耗します。
変化する斜面で常に正しいポジションをキープするのは難しいのですが、それに慣れると体力を消耗することなく楽に、うまく滑れるようになります。

親しい人と向き合うには、自分の不安な気持ちを素直にありのまま、弱さも強さも、相手に落ち着いて伝えます。
簡単なことのようですが、向き合うのが怖いと、不安な気持ちをそのまま伝えるのが怖いので、うまく伝えられず後傾姿勢になったり、
反対に前のめりになることもあります。
不安をイライラや怒りに転換させて伝えてしまいます。
すると相手も怖くなり、うまく受け取ることができず、相手と向き合うことがとても疲れます。
親しい人とうまく繋がると心が安らぎ疲れが取れるのですが、
うまく繋がることができないとストレスが高まり、様々な弊害が出てしまいます。
家族は長い付き合いなので、何度も失敗と成功を繰り返しているうちに正しいポジションどりを会得できます。
しかし、何度も試してもうまくいかないと、人と向き合うことをやめてしまうか、暴力で相手を蹴散らします。
それが家庭の中の暴力や「ひきこもり」に繋がります。
困難な斜面でも正しいポジションをどうやってキープするか。
家族療法はそれを支援します。

2025年の展望

新しい年を迎え、今年の展望をお伝えします。
基本的には去年までやってきたことを続けたいと思います。

古民家での診療
月・火・水が渋川市での保険診療なので、木・金・土・日に畑作業や薪仕事の合間にやってます。渋川市での保険診療はとても混雑していますが、高山村まで自由診療を求めて来る人はそれほど多くはありません。それでも群馬県内ばかりでなく、東京や首都圏からも車でいらっしゃいます。遠くは名古屋から休暇を兼ねて来られた家族もいました。冬の間は冬用タイヤが必須です。
転地療法と言いますが、いらっしゃる方々は高山村古民家の空気に触れるだけで気持ちが落ち着くと言われます。

大森での診療
毎月3日間(金・土・日)の診療を、私が移住するまで住んでいた大田区大森の自宅で行います。東京の患者さん達が落ち着いたらおしまいにしようと思っていたのですが、やはり東京のニーズは高く新患がよく入ります。もうしばらくは二拠点生活を続けます。

オンライン診療
Zoomや電話によるオンライン診療のニーズも高まっています。初回はオンラインで行い、次からは高山村や大森での診療に移行する方もいます。診察室に来る方と自宅からオンラインで参加する家族とを繋ぐハイブリッド面談も行います。

家族ミーティング
毎月1回土曜日の午後に高山村で行います。オンライン参加も可能です。誰でも自由に家族のことを話し合う会です。子どものこと、親のこと、夫婦のこと、、、何でも構いません。ひとりで参加する方が多いですが、親子や夫婦で参加する方もいます。自分は語らず、私と参加者の話を聞いている方や、話すつもりはなかったけどほかの人の話につられてお話しされる方などいろいろです。

スーパーヴィジョン
日本語では臨床指導のことです。支援者の実力を高める目的で、関わった事例についてどう理解したらよいか、どう支援できるかなどについて話し合います。
個人スーパーヴィジョンはスーパーヴァイザーとの一対一の対話です。高山村、大森、オンラインで行います。
グループ・スーパーヴィジョンは5-10人ほどが集まり、ひとりの人が提示したケースについてみんなで話し合います。以前は大森、高山村、オンラインとのハイブリッドで行っていましたが、最近はオンラインで行なっています。

ジェノグラム合宿
夏に年2回ほど、二泊三日の合宿を高山村で行います。家系図を描きながら自分自身の家族について掘り下げます。NHKの番組「ファミリーヒストリー」に似ているでしょうか。有名タレントでもなく、取材するわけでもありませんが、自身の家族体験を語ります。そこから新たな気づきや感動が生まれるのはNHK番組にそっくりです。自分の感情体験を客観的に向き合うことで、支援者として、さらには人としての成長を体験できます。

今年も、高山村を拠点に多方面に活動していこうと考えています。

大森相談室

 5年前に高山村に移住してから、毎月、東京大森の自宅に戻り、月に3日間だけ診療しています。
 大森の「相談室」は、私が生まれ、育った自宅です。高山村に移住する前は港区西麻布のビルのワンフロアにオフィスを借りてフルタイムで診療していました。移住したのでそこは手放し、自宅の1階を改装し診療スペースを作りました。東京へはいつも新幹線で行きます。上毛高原まで車で20分。高山村の駐車場に車を停め、新幹線で東京まで70分ですから、往復すること自体はそれほど難儀ではありません。
 しかし、高山村にも慣れ、生活のベースをすっかりこちらに移した今でももこうやって毎月東京に往復する二拠点生活を続けるのか、それとも東京での診療はやめて群馬だけにしようかなどとも考えたりします。
 高山村の生活は良いです。やることもたくさんある。週3日(月火水)は渋川市の病院で非常勤、つまりサラリーマン生活で、残りの4日は高山村です。夏は畑で野菜を作ったり、冬は薪を作り、スキーに出かけて。患者さんもそれなりに来てくれます。都内ならまだしも、こんな「田舎」で自由診療の精神科なんて。。。とも考えましたが、この近辺の群馬県内からも、また東京など首都圏から関越道を車で来てくれる人もいます。
 東京より、高山村の方が治療効果が高いように思います。都会と田舎では時間の流れが異なります。大森での診療は60分、高山村では一人90分にしています。
 移住した当初は、大森での相談は患者さんが少なくなってきたら辞めようかと思いましたが、一向に減る気配はありません。やはり都会の方がニーズは高いです。ウェブサイトを見て来てくれる人もいますが、多いのは私の知り合いからの紹介です。精神科、しかも自由診療は敷居が高いものです。サイトにいくら良いことが書いてあっても、この先生は本当に信頼できるのだろうか、優しく接してくれるのだろうか、治してくれるのだろうか、、、ということはわかりません。信頼できる人の紹介なら、信頼関係も築きやすいように思います。私のことを必要としてくれる人がいるのなら、東京での診療も続けようかなと思います。
 もう一つの要素は子ども達の存在です。大森の家はもともと私の家族と両親と、二世帯が住んでいました。今は、今年続けて結婚した長男と長女の夫婦二組が住んでいます。彼らもよく高山村に来てくれますが、大森に帰れば彼らに会えます。アラサーの彼らもまだ今後のことはわかっていません。東京にいるのか、他の場所に転居するのか、子供を作るのか自分のキャリアを優先するのか。。。もうしばらくは彼らを見守っていたい。
 そう考えれば、大森の相談室を畳んで、二拠点生活を止めるのは、私が後期高齢者になり、まだ見ぬ孫たちが中学生くらいになり、おじいちゃんの相手をしてくれなくなる頃かなぁなどと、面白くも考えます。