8月のジェノグラム合宿の後に続いている参加者と私のグループLINEの一部を紹介します。
三日間お疲れさまでした。
私は今日から日常のルーチンに戻りました。
今の段階で、今回の合宿について私なりに振り返ってみます。
合宿でもお話ししましたが、私は「夏の合宿」が好きなんだと思います。
中学では柔道部、高校では山岳部、大学ではアメリカンフットボール部。大学で教えるようになってからは研究室の学生たちと「ゼミ合宿」。40代にMaurizio Andolfiの2週間に渡るsummer practicumに参加してからはセラピストのための「合宿」を開催してきました。高山村に移住してからはシーズンに2-3回やってます。これらの「合宿」の共通点は、
・2-3泊から1週間くらい泊まり込みで昼夜寝食をともにする。
・仕事や家事など普段の生活の場から抜け出し別の場所で(多くはリゾート的な場所。夏は暑いから)日常の雑事を忘れ、そのことだけに集中する。
・普段はできないスペシャルメニューをこなす。
・苦しい合宿を乗り越えたらグレードアップされた自分がいて、自信や成果に繋げる。
今回のジェノグラム合宿は、みなさんにとってどうだったかわからないけど、主宰した私にとっては今までの合宿にも増して感情を深く掘り下げる体験でした。ジェノグラム(家系図)ってセラピーを補助するツールに過ぎないけど、極めればとても深いですね。ひとりじゃとてもできないし、見守り、支援する仲間がいてできることです。どの部分を、どんな具合に掘り進めるか、みなさんの感情体験に寄り添うプロセスでは、私自身の家族体験に向き合っているのだと思います。それはどういうことかというと、、、
男性性
その概念は時代や文化によって千差万別だけど、私自身にとっては「困難さの痛みに耐え、立ち向かって乗り越える力や勇気」みたいに感じています。それと対比する母性性とは「子どもをリスクから守り、保護する役割」だと思っています。私が父性性をもらったのは父親が大きいけど、他にもいろんな人がいるんですよ。そして、私が得たものをどう次の世代に伝えようとしているのか。
ジェネレーション(世代)
今回の参加者は20代から60代まで幅広い世代でしたね。私の子どもたちは20代後半から30代前半。自立して自分の家庭を築き、社会的な役割を苦労して模索しているように見えます。私はすでに亡くなった両親から何を受け取ったのか。そして、子ども達に何を伝えるのか。また子どもたちだけでなく、私の経験を伝えたいのは私を頼ってくる患者・クライエントたちであり、合宿に来てくれる人たちでもあるんです。
妻の存在
今回は妻もよく知っている人たちが来てくれてすっかり馴染んでいるようでした。みんなが料理をほめてくれるので、妻も張り切っていました。みんなが繰り返し来てくれるのは妻にとっても私にとっても嬉しく、やりがいがあることです。「おかみさん」としての妻の存在には感謝してます。
パートナーシップ
世代を問わず、たびたびテーマに上がってくるのはパートナー間の愛着でした。そのパワーバランスは年と共に変化していくんですね。私を含め多くの場合、革新的で変化を求める女性のパワーアップと、保守的で変化についていけない男性のパワーダウン。みんな気づいているかどうかわからないけど、みなさんのパワーはすごいですよ!
参加者同士の支え合い
今回、私は楽でした。リピーターさん達が進行役とかも自然にやってくれて。それだけでなく、参加者同士の情緒的な支え合いも見事だったと思います。普段はスルーしている感情体験のふたを開ければそれに圧倒されますね。運動部の夏合宿では圧倒的な身体体験を経験することで自信を深めたように、自身の感情体験を直に経験することが自信につながるんだと思います。ひとりじゃ無理だし、仲間の支えがあるからこそ可能だと思います。
学歴
の話が妙に出て来ましたね。ヒエラルキー(序列)があるんですねぇ。自分の鎧づくり(社会の中での役割と自信の獲得)ばかりでなく、親子や夫婦などの関係性にも大きく入り込んでいくんですね。中国で教えていてもそれは感じます。韓国もすごい学歴社会だし、東アジアに顕著な現象みたいです。欧米での体験では、”Oxbridge” やアイビーリーグを出たからどうのこうのとかいう話はあまり聞かないように思います。
続いて参加したみなさんのコメントも紹介します。とてもたくさんあり全部載せるわけにいかないので、私の方で抜粋しました。全体の文脈から恣意的に抜粋して、文脈が変わっちゃったりします。削除、修正、加筆などあったらお知らせください。
、、、「自分の理想の家族を作ってみて」と田村先生に言われて「今はわからないです」と言って逃げようと思いました。、、、ただ、逃げたら意味がないとも思いました。なんのために山奥まで来たのか、、、向き合わなかったら変わらないと思って、答えました。
人の話を聞いて、自分の話をして、心が揺さぶられました。考えてもみなかったことを考えるきっかけになりました。
、、、自分が日々生活している社会、世界は、いかに狭くて、いかに閉じられたものであることか…
今回は人生で2回目の合宿でした。、、、前回の自分の振り返りを田村先生のブログで見返してみると、「人の人生を味わう」という題を最初につけていました。今回の題をつけるとしたら「自分自身であることと父性性との向き合い」だと思います。自分のテーマがこの何年かで変わっていることも、自分の仕事や人生が進んでいるようで嬉しい気がしました。
、、、ジェノグラムのセッションだけではなく、それ以外の時間の生活を同じ屋根の下で過ごす中で、考えて得られることよりもはるかに多くの何かを浴びていて、そこに人としての自分でいられるヒントがあるのかもしれません。人や人の人生を浴びるということなのか、それが何なのかを言葉にするのは今はまだ難しいですが、いずれにしても、まぎれもなく2回目の合宿もすでに自分の中で大きな転換点となっています。1人では決してできないし、偶然集まった参加者の皆さんとの貴重な時間をもてたことに本当に感謝です。
、、、この合宿の好きなところは、参加者の本音を聞けることである。
「心のパンツ」を脱いだ本音を聞くことができる空間。
「社会生活」に適応するためにしつらえた自分ではなく、等身大の自分が表現できる空間。
参加者の心理的安全性を確保しながら、こんな空間をどのように作っているのか?
聞いた本音を参加者の成長にどのようにつなげていくのか?
その切り口や質問の技術は、いかなるものか?
、、、そうなんです。
今回、これまでと違って、自分自身のことよりもみなさんのことが気になっていました。それが、今までにはなかった「消化不良」のような感覚につながっていたのかもしれません。
自分自身の問題に気持ちが向いていたこれまでとは違い、むしろ「支援者として見る自分」が、いつの間にか前面に出るようになっていたのかもしれません。
、、、そのときには分からなかったことも、月日が経つにつれて少しずつ腑に落ちてきました。そうやって年月を重ねるうちに、子どもの話を聞くたびに揺れていた自分の心も、いつしか大きく揺れなくなり、自分でコントロールしながら寄り添えるようになりました。
、、、振り返ってみると、私はいつの間にか「人を育てる立場」になっていたのですね。
、、、周りの方々はずっとそういう私を見てくださっていたのに、今頃になって気づくなんて、と自分でも思います。
、、、田村先生をはじめ、参加者の家族の話を、懐かしい空気に包まれる中(古民家)で、一杯聴いて考えて感じた3日間は帰宅後の私の生活を、その余韻で充満させてくれています。そして、風化しないように反芻しています。
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みんなのリフレクションを受けて、私からのリ・リフレクションです。
記憶を風化させたくない、、、と思うけど、結局は風化するんですよ。戦争や震災の記憶を忘れてはいけないとか言うけど、少しずつ忘れていきます。もしすべてのことを忘れずに覚えていたら人生やっていけません。忘却力があるからやっていけるんです。でも風化しない部分もありますね。多くの記憶は徐々に忘れ去り、残った残渣の部分が大切なんです。それがマイナスの気持ち(恐怖や不安)だとトラウマ(心的外傷)として苦しみ続けるし、プラスの気持ちなら人生の糧になります。
今回の合宿から10日間経た今の私に残っているのは、冒頭でも触れた「男性性」かなと思います。「合宿」と「男性性」にからめていろんな記憶が蘇ってきます。
中学1年生の柔道部では先輩の3年生に締め技をくらい、息ができずに苦しく怖かった。中学生の2学年の体力差は大きいですからね。
高校の山岳部夏合宿は北アルプスや南アルプスを一週間ほどかけて縦走します。重いキスリング(昔の登山用ザック)を背負い、苦しい登りが何時間も続きます。いつかは山頂があり、永遠に苦しい登りが続くわけじゃないと自分に言い聞かせてがんばります。でも、体力の限界、もうムリと思うとバテてひっくり返るんですね。10人くらいの仲間と共に登るんですが、自分がダウンするまえに、誰かがダウンしてくれるんですよ。その仲間には申し訳ないけどラッキーなんですね。小休止できるから。とても現役の高校生だけでは達成できません。顧問の教師と大学生のOBたちが同行し、バテた奴の荷物を代わりに背負ってくれます。
大学生のアメリカンフットボール部。まだ創部まもなく人数も少なかったので、体格も小さく、運動神経もたいしたことない私でも選手として試合に出ることができました。秋のリーグ戦に備え、夏合宿の最終日の「恐怖のスペシャルメニュー」が始まるというときに、仲間のひとりの呼吸が荒くなり苦しみはじめました。心臓発作か!?と慌てて救急車で病院に運んだのですが、夕方にはケロッとして帰ってきました。過呼吸発作でした。
若い頃のこれらの合宿体験は、心肺系も筋肉系も体力の限界です。身体的な苦しさ。
自分にはムリ(自己否定)と認知したら、身体不調を引き起こしてダウンします。
自分にはできるかもしれない(自己肯定)と認知したら、何とかがんばることができます。
そのような自己認知の変革は、その仕組みを理屈で理解してもダメです。実際に体験するしかない。でもひとりじゃとてもできません。仲間がいて、支える人が必要ですね。
心理的な苦しさも同じだと思います。過去の圧倒される心的外傷や葛藤を追体験するのがムリと認知したら、記憶を抑圧するか、他者に投影するか、行動化して問題行動や身体症状・精神症状に転化するしかありません。
自分にできるかもしれないと認知したら何とか頑張ることができます。でもそのためには支える人が必要です。
心の支援者はクライエントが内包する圧倒的な心情体験に向き合い、受け取ります。圧倒されずに平常心で受け取る(共感する)スタンスを得るためには、自分自身の圧倒される心情を整理する体験が必要になります。そうすればクライエントの困難さに直面しても支援者自身はその心情に引きずられることなく、落ち着いて見守ることができるようになります。ジェノグラム合宿では安全な文脈のなかで自身の心情を整理し、仲間同士で支え合っていました。
私はよく自転車で高山村から渋川まで通勤します。往きは下りだから良いのですが、帰りは標高差約500mの登りで2時間くらいかかります。でも10月にはアカヒル(赤城山ヒルクライム)があるのでトレーニングしないともっと苦しみます。赤城山なんて、ひとりでは苦しすぎて登る気がしません。大会では多くの参加者たちとサポートがあるからなんとか完走して達成感を味わうことができます。
今朝もチャリで通勤することにしました。妻から「元気ねぇ、、、」と半分呆れたように一言。私にはそれが「がんばるわね」という承認に聞こえてしまいました。
でも、私はなぜ苦しいのをがんばっちゃうのかなぁと考えました。
苦しいのが好きなのか?
頑張る力を私が内在しているのか?
運動神経は大したことないし、身体が固いから学校時代もスポーツ選手にはなれませんでした。ただ体を動かすことが好きだっただけです。絵画や芸術のセンスも持っていません(というか持っているという自信もありません)。ただ勉強はできました。学歴も良いのを持ってます(国立大学医学部、大学院、英国留学、大学教授ってね)。両親も勉強はできたようです。
そういうのをひっくるめて生まれ持った「素質」なのでしょうけど、もっと大切なのは関係性、つまり他者からの承認により生活体験の中で後天的に育まれる部分だと思うんです。
私が小学校4−5年生の頃、電気部品を集めてラジオなどを自分で組み立てるのが流行っていました。集積回路(IC)が出る前の真空管やトランジスターの時代です。その入門として、一石ラジオ(トランジスターを1個使ったラジオ)のキットを父親と一緒に神田まで買いに行って、作ったんですよ。ちなみにネットで調べたら、今でも子供向けラジオ組み立てキットはあるのね。そんなもの作るのは初めての体験でした。半田ごてを使うんですね。まだ子どもだからうまく使えず、指に軽い火傷をしてしまいました。母は心配して「まだタケシには無理よ、やめたら??」という眼差しでした。苦労して何とか完成したら、父が「よくできたね!」と褒めてくれました。父親は教育心理学者でしたからそのあたりの関わり方はよく心得ていたのでしょう。子どもたちにたくさん承認を与えてくれました。親ガチャ的に言えば私はラッキーだったと思います。そのような両親のもとに生まれたことも素質(自分の選びようのないもの)とすれば、努力が及ばない先天的な運命の力も否めないのでしょう。
このあたりが私の「父性」の由来だと思います。ただし、困難を乗り越え前に進む力(レジリエンス)はいかにもポジティブで聞こえは良いのですが、マイナス面もあると思います。第一に、乗り越えようとがんばってみたものの中途半端に終わってしまうと傷を深めてしまいます。二次被害ですね。第二に、挫折や失敗を自分の一部として受け入れる体験も貴重です。失敗を受け入れられず否認しいつまでも夢(成功)を負い続け無理に前に進み続けていると、登山で遭難するか、「ゼロ100思考」から抜けられず、いつまでも夢を捨てられないか、ダウンして立ち上がれなくなったりします。
そういうマイナス面も含めたやり方が私の「父性」を軸とした臨床の「クセ」なのだと思います。


