ジェノグラム合宿(8月)

コロナの渦中ですが、今年はジェノグラム合宿を3回行います。 
8月に行った第2回合宿の振り返りをご紹介します。

私がこの合宿で一番強烈な学びだったことは、『鎧を脱いで素の自分を他者に認めてもらうことで得るもの、自分の心の変化』そして、『その他者との関係』です。
今まで自己肯定感を高めるためには「鎧を脱いで素の自分を他者に認めてもらうことが必要」というのは度々田村先生から伺っていたことですが、これをまさに強く実感しました。

合宿中に自分の話をするのは怖いなと思っていました。自分の番が回ってくるまで本当にドキドキでした。でも初日に田村先生のお話を伺って「そこまでお話なさるとは!」と私はかなり衝撃が走っていたので、自分も打ち明けたいという欲求に火がついたのだと思います。
参加した方が涙ながらにお話されたことで自分の怖さが緩むのを感じました。人からどう思われるかという怖さです。

今までも私はミーティングなどで結構自分のことはオープンにしてきたつもりです。少なからずそのような体験をしてきました。だからわかっていたつもりでしたが、合宿ではその素の自分のレベルがより深いところ、普段では絶対出せないところ、性的なことを出すことができました。すごく恥ずかしかったです。すごく恥ずかしかったけれど、打ち明けた後は気持ちが楽になり、スッキリとした気分になりました。
そして、ジェノグラムを通していろいろ質問してもらったことで自分の中の矛盾点に気づき、答えていく中で徐々に整理されていき、最終的な私の答えが見いだされてきました。『自分って捨てたもんじゃないな、こんな自分でも良い』ということ。
この間、ずっと皆さんが受容的な雰囲気でいてくださったことを覚えています。だから、どんどんどんどん話せました(笑)
合宿で出せた素の自分を本当に伝えたい人に出す勇気も出てきて、伝えることができました!
話す前は、私の話で嫌な気持ちになるのではないかと思っていたので、とても怖かったです。でも予想外の反応で、本当にとても安心しました。信頼が私の中でさらに深くなりました。

しっかりと心の変化を体験していただけたことは、主催者の私としても嬉しく思います。
性(セックス)というテーマは心の一番奥深くにあります。そこまで掘り下げられるのは難しいのですが、よく出来ました!
は生きるために、命を繋ぐために最も大切なことです。
それだけに肯定的・否定的な大きな感情をもたらします。
それがうまく成就されると、人生の深い幸福となります。
それが傷つけられると、とても深い傷を負います。
それだけデリケートで敏感な部分ですから、そう簡単には言及できません。語ることは羞恥心を伴うからとても困難です。パートナー同士で、セックスという行為はできても、それをお互いに語ることはなかなかできません。子ども達への性教育が大切だと理解しても、大人達もなかなかうまく扱うことができません。そういう意味でも、自分自身を、性に至るまで安全に語ることができたのはとても大きな成果であり、そのような場を作れたのは私としても嬉しく思います。

何度も合宿の振り返りを文字に起こそうとしたのですが、上手く言葉にすることができず、あっという間に2週間がすぎてしまいました…。拙い文章ではありますが、今の気持ちや考えた事を言葉にしてみました。

この合宿に参加しようと決めてから、自分なりに心の準備をしているつもりでした。しかし、実際に話をしていくと、思いがけない所で涙が溢れ、言葉につまり、改めて家族や自身の体験を話すことの難しさを感じました。そんな中でも、パニックにならず、最後まで冷静に話をすることが出来たのは、参加した皆さんの温かい雰囲気によって、安心する事ができていたからだと思います。

今まで自分の家族に対して否定的な気持ちが強く、そんな自分にも否定的でした。しかし、田村先生から「どうして家族のためにここまでできるのか?」という質問をして頂いた時、「家族のことが大好きなんだと思います」と答えました。あまりに自然に口から出たので驚きましたが、これが本当に純粋な家族に対する気持ちなのだと感じました。その後に先生が仰られた「大嫌いだけれど大好き」という言葉で、私の家族に対する気持ちが明確になったように思います。同時に、その感情を肯定して頂いたことで、今の自分を無理に変えようとしなくていいと思うことができました。

また、「亡き祖父が今の私になんと言うか?」という質問に答えたことで、祖父が私にとってどれだけ大きな存在だったのか気づき、感謝の気持ちでいっぱいになりました。今考えると、今までの自分の行動を肯定できた瞬間でもあったようにも思います。

合宿の後、今までずっと心に張り付いていたものが取れ、心が平坦になった気がします。確かに今も家族の問題は存在しますが、子どもやきょうだいという立場ではなく、1人の人間として自分の道を生きることを優先しながら、自分が出来ることをゆっくり考えていきたいと思います。

この振り返りを読ませてもらった時、私も涙が溢れました。
「パンドラの匣」だと思うんです。絶対開けてはいけない箱を好奇心に駆られて開けてみると、中から疫病、犯罪、悲しみなどなど、ありとあらゆる災いが飛び出してきました。そのあと箱の中に残されたものは「希望」でした。
「大嫌いで、大好き」というアンビバレンスは、家族に普遍的に存在しているはずなのですが、そのことに気づきたくはありません。だって、大嫌いだから好きだなんて認めたくないし、あるいは逆に大好きなはずなんだから、嫌いだなんて認めたくありません。しかし、その葛藤を受け入れることができると、固まっていた気持ちが氷解し、ストンと安心できるのだと思います。

家系図には生きている人だけを書いて、亡くなった人は書かない場合がよく見られます。しかし亡くなった人も含め、三世代以上の家族を書いて、どう相互に影響しあっているか展開してみることが大切です。

自分の家族のジェノグラムを作成しながら話すことで、それまで頭の中でごちゃごちゃしていたものが外に出て、視覚的に理解でき、とても整理しやすかったです。新しい発見だったことをお伝えします。
田村先生に「なぜ外に出るのが怖かったのですか?」と質問されたときに一瞬面食らった感じになりました。今まで怖いという感情にしかフォーカスしていなかったので、何故怖かったのか?自分でわからなかったです。そして、外に出るのが怖かったときの当時の心情を思い出して、考えず出た言葉が
「ひとりぼっち」
「誰とも繋がっていないから」
「安心を得るためには人に合わせるしかない、でもそれは苦しいから外に出たくない」と。
私自身について新しい発見でした!そして、人との心のつながりって大事なんだ!と改めて気づきました。
先生が以前お話された南極の昭和基地のことを思い出し、ああ、こうゆうことだったのかと腑に落ちました。わかっているようでわかっていなかったことがいろいろあったことに気づきました。

家族を語る中で、新しい自分に出会えるって、素晴らしいですね!一人では見いだせないけど、対話する中で見えてくる自分なのだと思います。

初日に田村先生の赤っ裸な話しを聞き、話す勇気もですが、なにより話された田村先生に親近感や今まで以上の信頼感を感じた瞬間、裸になる気持ちの良さが全身に溢れてきました。自分のジェノグラムを小さい頃からの自分、成長していくにあたっての関連性を思い話していくうちに気がついたら父親の話に自分の気持ちがいっていることを先生に言われはっとしました!
小さい頃から今現在、常に自分に中に抱えている問題はそこにあるんだな!
そこを変える事ができれば!
と父親との関係を深く考えれば考えるほど幼き頃からのトラウマばかりでどうしてもそこから抜け出せない自分の気持ちを先生が
『なんで長男の名前に父親の一字を使ったんですか?』
という言葉にはっとさせられました。
そうだったんだ誰から頼まれたわけではなく父親の一字を長男が生まれたときなんの迷いもなく命名した自分がいた事。その時の気持ちが甦ってきました。相手への嫌悪感が自分を支配していてそんな気持ちがあったのを忘れていたことを。
その気持ちを掘り下げて父親に接してみよう、時間はかかっても父親と向き合ってみようと光が見えてきました。

鎧は脱ぐんじゃなくさらに着るものじゃなきゃいけないと言われる世界にいたのかなって自分のジェノグラムを考えていたら思いました。
身を守るための鎧を着たもの同士の世界、いっぱい着るから鎧と鎧がぶつかっちゃって、自分を守るためにさらにその上から鎧を着るそんな心の身動きが出来ない窮屈な世界にいた時期があったなって。相手にもよるんでしょうけど鎧を脱ぎ裸になった時、実はその姿が一番素晴らしいって事を実感しました。

裸は気持ちが良いですよね(笑)!
でも、恥ずかしいからすごく勇気がいります。
ジェノグラムを書くと、世代間に伝達されているレガシー(遺産)に気づくことができます。
プラスの遺産と
マイナスの遺産
たいてい、両方あるんですよ。
しかし合算してマイナスになると、プラスの遺産が見えなくなります。
継承方法もいろいろです。
男子のレガシー)祖父から父へ。そしてその息子へ。
女子のレガシー)祖母から母へ。そしてその娘へ。
男性の遺産相続はなかなかやっかいです。
物質的・金銭的な遺産は見えるのですが、その陰に隠れた心情的な遺産は見えにくいものです。だから、気が付かず無意識のうちに次世代に継承されてしまいます。
プラスの遺産はどんどん継承し、マイナスの遺産は相続を放棄します。それがMurray BowenやMonica McGoldrickらの多世代派家族療法であったりします。

男子が鎧をたくさん着込む窮屈な世界は、私自身も経験してきました。
学力をつけ、体力をつけ、経済力をつけ、
人より優れていること、試合に勝って、金メダルを目指すこと。
弱音を吐いてはいけない!、泣いてはいけない!
弱さを隠して、強くあらねばいけない!
そのような伝統的な男の世界に、私もいました。
危険な社会で生きるために立派な鎧は必要です。
でも、本当は違うんですよね。私は十代の頃、柔道を習いました。柔よく剛を制す。自然体でいることが、本当の人間の優美なのだと思います。

次の第三回合宿は9月に行います。
「メタ合宿」、つまり、今まで参加した経験をお持ちの方限定の合宿で、さらに深めていきます。

ジェノグラム合宿 (1)

7月22-24日、オリンピックの寄せ集め連休中に第一回ジェノグラム合宿を行いました。
今回は試験的にオンライン開催、部分参加も可としました。
4名の参加(うち1名は部分参加)でした。
参加者からの感想をお送りします。

初めて参加しました。
参加することは昨年から変わらぬ思いとして希望がありましたが、コロナもあり、職場からの暗黙のプレッシャーもある中で、一度は参加をあきらめました。
その後オンライン参加も受け付けると先生からの連絡が入りました。リアルな対話を求めていた私は、しばらく考え、友人にも相談し、正直とても迷いました。
それでも、日々色々なことを感じる中で、『気持ちがどうも着地してこない、その部分には自分自身を整理し検討することが有効だろう』という自分の中での変な自信があり、「オンラインではありつつも、語れることには変わりない、そしてそこには田村先生がいる」ということを頼りに今回の参加を決意しました。正直なところは『もし、物足りなかったら次回はちゃんと参加すればいい』という気持ちも半分はありました。オンラインでもある中で、どこまで自分のことを話せるか、話す気になるか、どこまで掘ることになるのか、、という不安を抱きつつ合宿はスタートしました。
 初日は、先生がこの合宿の意図についてや、先生ご自身のジェノグラムを話してくださいました。以前にも研修等を通して、聞いたことのある話もありましたが、ジェノグラムと共にお聞きすることで、よりご家族の関係性や、先生の想いにも近づくことができたように思います。
 そして意を決して参加した2日目。「誰から話しますか?」の問いかけに、自分自身のジェノグラムを語ることにはパッと手を挙げることができず、参加者の皆さんのお話を聴き、話し合う中で私自身の心をほぐしているような時間を過ごしました。参加者の方の人生、人間模様を垣間見させていただき、それぞれにドラマティックで、オリジナルで、人生って本当に色々あるんだな~と強く感じ、自分の中では、自分自身の経験を少し過大評価しすぎている部分もあるのかな、と思えた部分もありました。それでも、まだ飛び込む勇気が持てずに最後の方のお話をうかがいながら2日目は終了となりました。

 もう逃げることはできない3日目。それでも、2日間の皆さんとの交流、お話を聞くことを通じて、やっと自分の中で、「きっと話しても大丈夫、なるようになる」という想いが少しずつ芽生えていました。参加者の皆さんが、お互いの話を聞く中で、議論のようになることはありつつも、基本的には受容的で、先生が守りを固めてくださっていることが何より安心感だったように思います。
 3日目の最終日、朝からオリンピックの開会式の大坂なおみ選手の様子をダイジェストで見て、感極まる思いも味わいながら、なんとなくホロホロとした気持ちで臨みました。「きっと大丈夫」という想いと、「話せるのだろうか、泣き崩れてしまわないだろうか」と直前まで不安はありました。
 3人目の方の話合いの中で、ご本人のご希望もあり皆さんで色々なことを議論しあえたことは参加者の結びつきを強め、私にとっても安心感となったような気がしました。
 自分の発表は、インタビュアの方がとても簡潔に、丁寧に話を進めてくださったこともあり、自分も感情的になりすぎることなく話をしていくことができました。思ったよりも語れた、でも思ったよりも掘らなかった、というところで話す事ができたのも自分にとってちょうどよい温度だったように思います。頭の中で想像している自分の過去についての対話はもっとドロドロとしていて、感情も出ているものでしたが、人に語る時にはまた違う色合いを帯びるのだなという事にも気づきました。
 参加者の方の私の語りに対する、とても健康的な反応、「どうしてそんなにおびえているの?」という発言に、言葉を詰まらせながらも、私は自分のプライベートの体験談を人に話すことを恐れすぎている部分もあったのかもしれない、と気づくこともできました。語ることを人に促す立場なのに、語ることをこんなに恐れている自分がいたんだなと気づけたのは大きな収穫でした。

 自分が当事者の立場になってみて一番鮮明に見えたのは田村先生の優しさ、守ってくれている存在感でした。いつも冷静な先生ですが、私が話をする中で、また参加者の方に言われたことに動じる姿に、「どうどう」と私をなだめてくれたり、「私にはわかりますよ」と先生なりの解釈を伝えてくれることが、私にとってはとても心強く、守られているという感覚になりました。そして、先生の言葉に「そうかそういうことなのか!」と気づかせてもらうこともできました。
 参加者の方々とは初対面同士で、どうなっていくのかな、と思いながらのスタートでしたが、話していく中で「皆さんに直接会って話したかったな~」という想いが大きくなっていったのも自分自身の中での意外な発見でした。それぞれの立場から言っていただく言葉も私の中に響いてきて、話せてよかったと感じました。

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今回の「ジェノグラム合宿」で私がいちばん学ばせてもらったのは、「心理的な安全」や「人が持つ雰囲気」の大切さでした。
「話してもいいんだ」と感じさせる場面では、とても大切だな、と感じました。
田村さんが出す雰囲気は、安心を作り出していたと感じました。
私には田村さんのような人間的な豊かさを感じさせるものはありませんが、自分に合った方法を探したいと思います。

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主宰者の私からの感想です。
安心を感じていただけて、とても良かったです。
それは私がセラピー(支援活動)でも、プライベートの家族関係や人との関わりでも最も大切だと思っていることです。
私もそれが生まれるよう心がけているのですが、その感覚が果たしてどこからやってくるのか、感触は得られても、はっきりこうだからと説明できないんですよ。
私のキャラなのか、古民家の雰囲気なのか、、、
理屈で理解することはできません。
だから過去10年間は実際に集まり対面のみでやってきました。
「雰囲気」や「安心感」といったnon-verbalな感性はnon-verbal messageでの交流が大切であり、それが得難いオンライン交流では難しいだろうと思っていました。
しかし、今回のオンライン合宿でも安心感を醸成できることがわかり、またひとつ分野が広がった感覚です。今後の合宿でも現地参加と共にオンラインやハイブリッドも活用できそうです。

参加者が語った内容について。
皆さん真剣に体験を語ってくれました。安心して語ればさまざまな感情(不安、悲しみ、怒り、焦り、後悔、、、)も表出されます。
参加者と共にジェノグラムを描いていると、親子や夫婦など直近の家族での出来事を、大きな文脈(拡大家族)から俯瞰できます。すると新たな視点が生まれます。それぞれの個人の特性に由来したと思われていた出来事が、全体の中で見ると全く違った視点が生まれます。

ああ、そう言うことだったんだ!!

自分の内部に秘められていた体験を思い切って語り、他者に受け止められることで解放され、張り付いていたものが剥がれ、自由になり、重かった心が軽くなる。。。

そのような体験だったのではないかと想像します。

サイト・ブログ・パンフのリニューアル!

新しいサイトができました!

今までお願いしていた東京のウェブデザイナーさんから、地元群馬のデザイナーさんです。若い女性の方で、私にはない感性で仕上げてもらいました。今回は、私もいじれるようにしてもらったのですが、まだよくわかってません。これから試行錯誤しながら作り上げていきたいと思います。

ブログもこちらに移行したんですよ。こうやって書いてますけど、まだドキドキ。どういう仕組みかわかってません。

パンフも新しいのを作りました。その写真を載せたいんだけどできるかな、、、

できたみたいですけど。

こっちの方が色々できるみたいなんですけど、その分、大変ですね。慣れれば大丈夫だと思うのですが。

パンフ、入用の方にお送りします。郵送先と部数をお知らせ下さい。

とりあえず、ブログの試運転ということで、書いてみました。