今年(2023年)の展望

(まだ下書き中です。2−3日中には書き上げたいと思います)

Googleカレンダーを振り返ると、

2018年6月)有楽町の『ふるさと回帰支援センター』へ群馬への移住を相談に行った
2019年1月)生活の拠点を移すために、榛名病院に非常勤で勤め始めた
2019年10月)「お片づけ隊」の協力で古民家の改修を開始する
2020年5月)古民家の改修が竣工し、高山村に住み始める

高山村に住み始めてもうすぐ3年になります。
今までとは全く異なる場所で、新しい人たちと暮らし始めていったい何してるの⁉️
高山村での新しい生活を総括し、今年の展望をお伝えします。

臨床編

週3日、月火水は渋川市のいずみ医院と榛名病院で保険診療、毎月3日間だけ東京大田区の元自宅に戻り東京近辺の方の診療を行なっています。
週の残りの4日間、毎週木金土日は高山村の自宅で自分の時間を過ごしています。古民家にいらっしゃる方と自由に診療したり、畑で野菜や、薪ストーブの薪を作ったりしています

保険診療

群馬に来て週3日間も通常の保険診療を行うとは思っていませんでした。保険診療は自由診療と比べると診療時間が短く、薬の処方が中心となり、私の思い描いている精神医療とは異なります。
しかし、高山村の仕事だけでは十分な収入が得られないので、地域の病院で雇ってもらえるのは経済的に助かっています。
渋川市の榛名病院の長谷川憲一院長は一昔前、群大を中心に開発された「生活療法」の権威であり、家族や社会を含めた視点を持っているので、私にとっても働きやすい職場です。
精神医療で薬物療法だけでなく、心理療法や家族・地域との調整が大切です。自由診療ではそれを包括してひとりで行いますが、保険診療ではそれらを臨床心理士やソーシャルワーカーと連携して進めるカタチです。

大森
移住した当初は東京で診ていた患者さんが卒業する中で、大森での診療日数は徐々に減らすつもりでした。しかし、東京での診療を希望する新規の患者さんは絶えません。私ウェブサイトは群馬中心の紹介なので、私の知り合いから紹介されて来る方が多くなっています。

オンライン
以前から電話やスカイプによるオンラインの相談は行なっていましたが、その数はそれほど多くありませんでした。私はコロナ禍が始まった直前に移住しましたが、zoomによるオンライン相談が一気に増えました。オンラインでの社会活動は、直接会うリスクを避けるために発展したコロナ禍の副産物でしょう。人々は違和感を感じながらも、オンラインでの交流にかなり慣れました。
心理療法では深いレベルの情緒的交流が必要です。メディアを使う違和感が減ってくれば、オンラインでも対面と同じ情緒的親密性を得られ、高い効果が得られます。

古民家診療

日本には優れた医療保険システムがあるのに、こんなに高いお金を出してまで私の診療を求めて来てくれるのだろうか?
それは、10年前に西麻布で開業した時にも抱いた心配でした。
しかし、蓋を開けてみると、東京の中心部でも、群馬の辺縁部でもたくさんの人が私を求めてくれます。
子どもや思春期の精神科は数が少ないので、新規予約まで半年や一年近くかかったりします。私の場合はそこまで多くはありません。2-3週間お待ちいただけばお会いできます。
高い対価もいとわない動機づけは、

1) 治療者への信頼: この人ならちゃんと治してくれるだろうという、、、

2) 問題の深刻さ、高い危機感: このままだと人生がダメになる、、、

この二つによって得られ、西麻布や高山村という場所の違いにはあまり関係ないようです。

地元の高山村の方も少数ながらいます。精神科にかかる敷居は高く、近所の目も気になります。西麻布で開業していた頃も港区の近隣の方が来るわけではなく、東京、神奈川、千葉など広く首都圏からいらしていました。高山村は人口三千余の小さなコミュニティで、噂はすぐに伝わります。にも関わらず、近所からも来ていただいています。ちなみに私が地域に還元したい思いで、高山村民は診察料が半額、役原(私が住んでいる集落)の方が無料です。

中之条、沼田、水上、渋川、高崎あたりが一般の病院の医療圏に該当します。ウェブサイトを見たり、人に紹介されて多くの方々が訪れます。

埼玉、東京、千葉などからも人に紹介されていらっしゃいます。新幹線を含め電車で来る方は少数で、みなさん自動車です。高山村は高速道路から近いのですが、診療所は村の中でも奥まった場所にあります。家の前に小さな看板があるだけなのですが、みなさんカーナビを頼りに迷わず(時々迷う方もいますが)いらっしゃいます。

個人療法
ひとりで相談にやって来る方も多くいます。自分自身の相談であったり、子どもや夫婦など家族の相談であったりします。
薬の力ではなく、人の力で治療します。それは専門家としての私の力であったり、家族の力を使ったりします。

家族療法
子どもの問題と夫婦の問題で相談にやってきます。当事者は来ず、家族だけが相談にやって来る場合と、当事者が家族と共にやってくる場合があります。
子どもの問題としては不登校、ひきこもりが多いのですが、コロナ禍以降、学校や社会に参加しないこと自体は以前ほど問題にされなくなったように思います。むしろ発達障害や、自閉症スペクトラム障害の治療を求めて相談される方が増えてきました。今まではなぜうちの子が学校に行かずひきこもっているか全く解らない状態で相談にいらしてましたが、最近は知識が浸透し、周りの人に指摘されたり本やネットで調べて発達障害や自閉症スペクトラム障害といった当事者としての理解を携えていらっしゃるようになりました。
それらの問題が氷山の一角であるとすれば、深く海面下にあるマイナスの力を見極め、家族が本来備えているプラスの力(問題解決能力=レジリエンス)を掘り起こします。

スーパーヴィジョン
還暦を過ぎ、私のセラピストとしての経験を後進の方々に伝えるために、セラピーだけでなくスーパーヴィジョンにも力を入れてきました。実際のカウンセリング例については話し合うことで、今まで気づかなかったことに気づき、困難な事例も関われる自信を得て、プロとしてのスキルアップを目指します。
個人スーパーヴィジョンは、ひとりのセラピスト(スーパーヴァイジー)と私(スーパヴァイザー)との対話です。一時間ほどの対話を高山村で、大森で、あるいはオンラインで行います。
グループスーパーヴィジョンは2-3名から10名程度の人たちが集まり、ひとつのケースについて参加者みんなで話し合います。今年はオンラインに限定して、毎月1回、土曜日の午後に3時間行いました。
国内ばかりでなく、海外の人に対するオンラインも行いました。中国のセラピストたちへのスーパーヴィジョンです。私は中国語は使えないので、通訳を介したオンラインでのSVです。

家族ミーティング
毎月一回、土曜日の午後に3時間行いました。参加者の数は2-3名から10人前後まで毎回異なります。毎回参加する方や、初めて参加する方の両方です。高山村の現地に来る方は群馬県内の方が多いですが、東京など首都圏から車や新幹線で来る方もいます。
現地に集まる方とオンライン(zoom)で参加する両方のハイブリッド開催です。
特にテーマは決まっていません。私を含め話したい方が話したいことを自由に語り合います。他の人達の話を聞くだけでも良いし、参加しているうちに話したくなったら話してもらっても構いません。そのような対話を通して自然に気持ちが楽になり、問題が解決していきます。

家族療法講座、4月から5回行った。

不登校、ひきこもり、発達障害、夫婦の葛藤などの事例を紹介し、家族療法や夫婦療法の切り口で、どう理解して、どう支援できるかについてお話しします。今年度は年に5回開催しました。これを文章化してブログに載せたり、本を出版したいのだけど、その作業は遅れています。

グループスーパーヴィジョン
毎月一回、3時間かけて行っています。2-3名から7-8名の人たちがオンラインで集まり、参加者から提示される事例についてディスカッションします。以前は対面・オンラインのハイブリッドでやりましたが、今年度はオンラインのみにしました。

ジェノグラム合宿
二泊三日で古民家に泊まり込み、寝食を共にしながらたっぷりと時間をかけて参加者一人ひとりのジェノグラム(家系図)を仕上げてゆきます。

合宿は3回、7、8、9月に

オンライン

zoomを中心に

案外いける

メディアミックス

大森と高山村

保険診療と自由診療

個人療法と家族療法

面談とオンライン

個人とグループ

継続性

一括割引

長いスパンでの成長

学会活動

副会長、一千人規模の中規模学会

グローカル

中国、オンラインと現地

国際学会活動。アジアの繋がり

ライフスタイル編

遠くからも来てくれる。駅まで迎えに行くのはあまりなく、車で、高速を使って、中には下道が好きだからと
わざわざここまでやってくる効果
鳥のさえずり、田舎の風景、薪ストーブ
私にとって「古民家療法」と名付けたいやり方だ
Therapist は必然的に自身の心情体験をクライエントに伝えている。
落ち着いているか、バタバタしているか
不安を抱えているか、焦っているか
私自身がここで生活する気持ちが投影されているんだと思う

「ただいま〜」と家に帰って安心できるか
中には家が安心ではなく、その反対の不安・緊張を強いられる場合もある。
普通、病院は混んでるし、待たされるし、あちこち手続きが面倒だし、痛みを治療するために行くのに、痛い思いをしたり、緊張・不安を強いられる場合が多い。
古民家に相談に来たら、普段の緊張がほぐれ、安心して語り合えるような臨床でありたい。

田舎暮らしの総括

便利さ、不便さ

都会にあって田舎にないもの

仕事

買い物、グルメ美味しいご飯

教育、講座

医療、福祉

文化活動、コンサート、観劇、

人混み、混雑、密集

交通の便、公共交通機関

田舎にあって都会にないもの

自然とその恵み。野菜作り

家で自然に生えてきて採れるものは、タケノコ、フキ、タラの芽、ワサビの葉、栗、柿などです。

美味しい空気、自然の風景

山、スキー場、温泉

近所付き合い、ローカルなコミュニティ

都会と田舎の二重生活

家の様子を見て、都会の空気を吸うために悪くはない。でもあまり意味ない。買い物はネットで。友だちと会うのもこっちに来てくれる。親戚の集まりや法事くらい

由美は私が死んだ後のことは何も考えていない、横浜に帰ろうかな

由美にとっては、冬は寒くて、夏は虫が出る。友だちもまだそんなにいない。

よくついて来てくれたよ。

今年の抱負

書くこと、執筆活動

今までやってきたことの集大成

ブログに書いて 

ニーズに合わせたサービス

ひとりで相談したい

本人ぬきで家族だけで相談したい

東京が便利だが時には高山村に行ってみたい

オンラインで相談したい

同じような人の話を聞いてみたい

欲張らない生活

生活のための仕事、生き甲斐のための仕事

精神科医は人の心に直接触れて、苦しみや不安、喜びや安心などの感情体験に直接触れる仕事。自分の存在が人を幸せにできることは、自身の幸せにも繋がる。

私の仕事は、直接生きがいに繋がるからやりたいけど、たくさんやったからイイわけじゃない。多くの人を治療したら、多くの生き甲斐を得られるかというと、ちょっと違う。そんなにたくさんはいらない。

もっと生活のための時間が欲しい。家族と過ごす時間、食べるものを作る時間、家を作る時間。山や温泉に行く時間。

家族ミーティング

継続する

グループスーパーヴィジョンの回数を増やす

月2くらいに

家族療法教室ででやっていたことは、文章化と、SVの中に含める

ローカルではないグローバルな活動

学会活動や国際交流

人に出会えるか面白いからやってる

これも今後どうしていくか

感情が繋がれば、

メタ合宿

先週の連休のメタ合宿は4名が参加しました。
これは、過去の合宿に参加した方限定の合宿です。
天気が良かったので、自然の中、家の庭でもやりました(写真)。

主宰する私としては、通常のジェノグラム合宿に比べると楽です。通常の合宿では私がリードする部分が多いのですが、メタ合宿での私の役割は皆が安心して語れる環境を整えるだけで、あとは慣れている参加者たちが自ら展開してくれます。前回に描いたジェノグラム(家系図)を持ってきたり、新たに今の視点でジェノグラムを描いたりします。参加者たちはお互いに支え合い、自然の中で癒しが展開されていきます。

主催する私自身も客観的な観察者ではなく、参加者の一部です。こんなことがありました。
困難に押しつぶされそうになりながらも、前に進もうとしているひとりの参加者に、私が質問しました。
「あなたが前に進んでいるレジリエンスは何ですか?」
参加者は意図せぬ質問に戸惑いながらも応答してくれます。

その翌日、別の参加者が私に尋ねてきました。
「先生のレジリエンスは何ですか?」
「そうねぇ。。。大きな困難に出会うと、それを乗り越えるために前に進む人と、後ろに撤退する人がいますね。後退すると『うつ』をはじめ様々な問題が生じます。それがどんなに辛いか、たくさんの人を診ているので、どうしても前に進もうと思ったんですよ。」
「そう思っても、できない人もいますよね。先生はどうやって前に向かったのですか?」
そう突っ込まれ、私もすぐには返答できず考えてしまいました。
答えは何となくわかっていたのです。でもそれを言っちゃっていいのだろうか?発言すれば、それが参加者に認められ、私自身の「物語」に組み込まれます

たぶん参加者たちも同様に体験していることなんだろうなと感じました。一人ひとりが自分を語り、参加者たちが受け止め、いろいろ突っ込んで物語を深めてゆきます。
参加者たちの声も伺いたいと思います。(以下、ハイライトは田村によるものです)

自分のジェノグラムを書いた中で、今までは、自分のため、家族のために何ができるかということばかり考え、自分が何をしてもらいたいかという発想がなかったことに気が付きました。それは、いろいろなことをしてもらう時も、当たり前の事と思っていたからだと思います。
今後は、どんなことをしてもらいたいかという視点を持つとともに、どんなことをしてもらっているかを振り返り感謝できればと思います。

合宿に参加する前、私は「歩き出したら沈んじゃいそう」と思い、これからどうやって生きていくか悩んでいました。
合宿が終わってから、体が軽くなって、ぐっすり眠れるようになりました。
「人は人に何かしてもらうからこそ、何かできると思うんです」これは自分のセッションが終わっていい気分になっている私が言った言葉です。正直、その言葉を発した自分に驚きました。そして気付きました。
返したいと思うのは、それだけのものを貰ってきたから。
今もたくさん、貰っているから。
ちょっと前まで、ただの重荷で、早く下ろしたかった家族への気持ち。それは今、私を奮い立たせてくれる、私の人生を生きるための大事な力になりました。
みなさんとの対話の中で、私の物語が変わりました
セッションで、10年後、20年後を想像した時、自分の足でしっかり立って、自信を持って親と話す自分を想像しました。それは、自分自身に嘘をつかず、自分で切り拓いた人生を生きている私でした。
それを実現させるために私がやるべきことは、今を精一杯に生きること。
歩き出したら沈んじゃいそうだった道が、確かな道になりました。
みなさんが私と一緒に涙を流し、一緒に悩み、最後まで私を信じて受け止めて下さった、あの時間と空間。あたたかくて、優しくて、自然で、温泉みたいでした。
あんなに痛くて泣いたのに、心地よい体験でした。日常生活に戻ってきたばかりなのに、「高山村に帰りたいなぁ」なんて思っている自分がいます。みなさんと過ごした高山村の古民家は、私にとって帰りたい場所のひとつになりました。
私のAnother Skyです(笑)
「また押し潰されそうになったら、高山村に行こう」そう思うだけで今を頑張れます。
この人の所に帰れば、大丈夫」私もそう思ってもらえるような人間になりたいなと思いました。
この合宿に参加して、みなさんから受け取ったバトンを、私もたくさんの人に繋いでいきたいです。

 今回は、母との死別がテーマになりました。
 これまで母がいつかは死んでしまうことを頭ではわかっていながらも、現実感のない、どこか他人事のように捉えていました。しかし、私の伯父、母が私の幼少期の頃から自慢の兄として語られていた伯父が亡くなったことで、母の死という現実を受け入れざるを得なくなりました。
 この事実を認めなければいけませんが、絶対に認めたくない。
 心と頭はぐちゃぐちゃです。
 私は子どもの頃から母の話し相手となってきました。母親は、私にとって母親でもあり、家族のゴタゴタを共に乗り越えてきた相棒です。とはいえ、子どもだった私は力不足で、母は、さまざまな局面で、文字通り「身体を張って」私たち兄弟を守っていました。
 そんな母と私が向き合うことは、私にとっては恐怖でしかありません。「瓢箪から駒」のように、気づきたくない母とのネガティブな関係に気付いてしまう可能性がゼロではないからです。これまで母と頑張ってきた物語を壊すようなことはしたくありません。しかし、現実を突きつけられた以上、なんとかするしかありません。気がつかなかったことにするという方法もあるのでしょうが、職業柄、自分の感情を押し殺したまま生きることは難しいことも理解しています。
 腹を括り、私の中にいる母親について泣きながら、一生懸命、話しました。
 そして、気がつきました。
 私の中には、母から伝えられた「優しさと強さ」が、ありました。そのことに気がついたら、とても温かい気持ちになってきました。
 話しきった後に、母から強さと優しさのバトンを受け取っていたという安堵感に包まれました。
 私はたしかに母からバトンを受け取っていました。そして、このバトンを私の家族や一緒に勉強している学生さんにも渡していきたいと思いました。すると一緒に合宿に参加した学生さんから思いも寄らない言葉をかけられました。
 「先生がお母さんから受け取ったバトンは、私にも届いている」
 自分が肯定されるような温かい気持ちに包まれるとともに、身体に力が沸いてきました。
 ネガティブに語られがちな死。
 でも、今回の合宿では、母の死と向き合い、受け入れることで、前向きの力に変えることを学びました。そして、新たな気づきも得ました。これまでの合宿では父親との葛藤をテーマにしてきましたが、その背後には、母親と向き合う怖さが隠されていました。そう思うと、父親は、私からどれだけ文句を言われようと、何度でも立ち上がる父親の役割を果たしていたと思えてきました。本人は、こんなこと1ミリも考えていないでしょうが。
 参加者のみなさんが一生懸命、私の話を聴いてくれたおかげで、痛みを伴いながらも、この物語を紡ぎ出すことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。参加者のみなさん、ありがとうございました。
そして、ありがとう、お母さん。私は、頑張っていけるよ。
ありがとう、学生さん。私は、その言葉で何度でも立ち上がれる。

合宿を終えて数日は、なんだかぐちゃぐちゃした気持ちが湧いてきて、落ち着かない心境でいました。それは、「田村先生に見捨てられてしまうかもしれない!?」という気持ちがあることに、そして親を投影している気持ちだと気づきました。
今回の合宿で私はかなり本音を出して、素っ裸の自分を出したので、私の心の深いところにあった「本当の自分を出すと見捨てられる」という不安(ネガティブな思い込み)が出てきたのかな、と思いました。
今までも田村先生の場で、本音をさらけ出してきた私ですが、今回の合宿では特に、他の参加者の方々との年齢や肩書きを超えた「素っ裸同志の人と人との関わり」を強く感じました。
先生ご夫妻や参加者の方々と今回初めて同じ食卓を囲んだ体験がとても貴重でした。その時に先生がまるで父親のように感じられ、安心する父親に見守られて食事をとる家族とはこういう感じなのか、、、と私には生まれて初めての感覚が湧いてきました。なんとも言えない安心感です。—これは、私の子どもの心が反応したのだと思います。先生の奥さまにもまるで母親のような感覚になりました。
このような投影が起こったのは、参加者の方々との素っ裸な関わりがあってのことこそだったとも思います。他の参加者の方々は兄弟のような感覚でしょうか!?
それだけ人と人との距離が近くなる経験が、私にとっての合宿の意義なのではないかと今思っています。
セッション中、私は他の参加者の方のお話を聴きながら、自分とリンクさせ感情が大きく動きました。そして、その自分をそのまま言葉に表現しました。参加者の方々もご自身をそのまま表現されていることを感じました。ある参加者の方から頂いたお言葉が、その方の語りを聴くことによって厚みを増して私の心に深く届くことがありました。
合宿空間=感情(エネルギー)をわかち合う人と人とのつながり=人と人とが一緒に居る感覚
・・・そのような人との親密な関わりを感じて、皆さんとその場に一緒にいることに喜びを感じ、ひいては私という存在の安心感に繋がります。この感覚は多かれ少なかれ今までの合宿でも感じていて、だから私は合宿に参加したいんだとわかりました。

自分自身については、自分の理想となるような家族関係にしようといろいろ考えて、家族に働きかけて、コントロールしない様にしていてもコントロールしようとしていたのかもしれないということに気づきました。自分の理想とする家族がいかにも絵に描いたような家族であったことにも気づきました。
今の現状で「何も問題はない」という先生の一言でこれでいいんだと安心しました。又、参加者の方々からの指摘や感想を受け取り、仲の良い家族関係とは?自分が本当に求めているものは?ということを考えさせられて、一つ屋根の下で暮らすことにこだわらなくていいのではないかと思いました。
そして「母親としてこうでなければならない」という自分で決めたルールで自分を苦しめていたことにも気づきました。
私が思うよりずっと、子どもは成長していることにも気付かされた合宿でした。子どもにとっては、私との距離が離れて自立する良いチャンスになった様子です。

ジェノグラム合宿

今年のジェノグラム合宿の報告です。
7月と8月にそれぞれ二泊三日で行いました。
初日の午後から三日目の午前まで、3時間のセッションを4回行います。
今年は、7月・8月ともそれぞれ3名の参加でした。
現地に参加した人と、オンラインで参加した人の両方がいます。
今回は比較的人数が少なかったので、一人のジェノグラムを約3時間、十分な時間をかけて描くことができました。

私からのリフレクションです。

場の力
「ここに来ただけで、癒される」
、、、参加者の言葉です。
ど田舎の自然の中、鳥のさえずりと木々のそよ風。
私はもう慣れてしまいましたが、そもそもそれが魅力で移住してきました。
環境や空気感が、気持ちに与える影響はとても大きいものです。
古民家の二階は昔はお蚕さまのいる養蚕部屋だったのですが、その広い空間を改装し、今年から合宿に使っています。

家族のストーリー
NHKのテレビ番組「ファミリーヒストリー」はときどき観ています。
著名人の家族の歴史を本人に代わって徹底取材。「アイデンティティ」、「家族の絆」を見つめる番組。初めて明らかになる事実に、驚きあり、感動ありのドキュメントです。
という番組です。
これになぞらえれば、合宿は、、、
「フツウの人の家族の歴史を本人の言葉で徹底取材。「アイデンティティ」、「家族の絆」を見つめる合宿。初めて気づく事実に、驚きあり、感動ありのドキュメントです。」

自分の家族をここまで深く語る体験は、まず得られないと思います。
ジェノグラム合宿では、家族メンバーについてひとりひとり語っていきますが、自分自身を語るのが一番むずかしかったと言います。よく知っているはずの家族や自分のことを敢えて語ると、新しい気づきがたくさん見えてきます。まさに「驚きと感動のドキュメンタリー」と言えるでしょう。
テレビ番組では出演者がよく泣きますよね。
合宿の参加者もよく泣きます。

言葉の力
「言葉の力の大きさに驚きました。」
ある参加者の言葉です。
私もそう思います。
大切な人から発せられる言葉は、人の心を大きく動かします。
マイナスの言葉を受けると、大きく傷つき、
プラスの言葉を受けると、大きく癒されます。
ただし、表面的な言葉のやり取りではプラスもマイナスにもならないんですね。
どれだけ自分の気持ちを表すことができるかにかかっています。
その言葉が大切な人にそのまま受け止められれば、
人は傷つきから解放され自由になれます。
合宿はそれを具体的に実現する場です。

心のマッサージ
今回の合宿中に連想したのは、私が心のマッサージ師になった気分でした。
だれでも長い人生、心を使っていると凝りが溜まり、固くなっちゃうんですね。
うまく動かない部分を無理に動かそうとすると痛いので、動かないようにこころを固めてしまいます。つまり心の動きが悪くなってしまいます。
心を自由に動かせなくなると、とても不自由になるばかりか、さまざまな弊害を及ぼします。
合宿では、凝り固まった部分を探し出し、そこに焦点を当てて、ゆっくり、丁寧にもみほぐします。
凝った心を解きほぐすには、その部分に触れないといけないのですが、その触れ方が微妙です。表面を触りなぞるだけだと効きません。触れる圧が強すぎると痛くて飛び上がります。その人が耐えられる強さ加減を確かめながら、痛みに触れてもみほぐしていく。そんな感じでした。

現地参加とオンライン参加
コロナ以降、オンラインのカウンセリングやスーパーヴィジョンを早期から積極的に行ってきましたが、この合宿だけは現地での対面方式に限定していました。しかし、去年から合宿もオンライン参加を取り入れました。今年の2回の合宿も現地とオンラインのハイブリッド形式で行いました。
zoomなどのIT技術が進化し、我々も使い方に慣れてきたとはいえ、対面とオンラインではk交わされる情報量に差があります。合宿では参加者同士の交流も大切にするので、現地参加者とオンライン参加者ではどうしても差ができてしまうのではと危惧していました。

実際はどうだったのか?私の感触ではオンラインでも現地参加に引けを取らない感触を得られたのではないかと思うのですが、実際のところは参加者の声を聴きたいと思います。

体験の伝承(私にとっての生きがい)
私は還暦を過ぎ、セラピーばかりでなくスーパーヴィジョンに力を入れてきました。私が臨床家として人々に関与できる年数は限られています。精神科医として、家族療法家としてこれまでに得てきた経験を次の世代に伝えたいと願っています。
今回の参加者は20代、30代、40代の人たちでした。
合宿をはじめとするさまざまな臨床活動は、私にとっての生きがいでもあります。

参加者からのリフレクションを紹介します。

山の中のここちよい環境と、先生のお家の古民家の過ごしやすさ、そして、集ったメンバーの方々の人間性、すべてがケア的でした。
対話の時間とそうでない時間の切り替えが気持ちよくできたのも不思議だったことの一つです。そもそも場所がきもちよいので、対話が終わればそこにかえっていくことができたというのもあるかもしれませんが、何より先生の、場のつくり方、場の閉じ方によるものだったのではないかと思います。
帰ってから、家族と会った時、なんだかスッキリしてる、と言われました。私自身、帰りの道中、とても気持ちが楽で、こころの凝りをほぐす、こころをデトックスするということの大切さを実感しました。どんなことを話したか、ジェノグラムを眺めながら家族と共有し、絆が深まったように思えました。
今回、みなさんの家族の話を聴き、リフレクションをしたり、自分の歴史をあれだけ長い時間をかけて聴いていただけたことは、本当に宝物のようでした。
じっくり、しっかり聴くことの力、集団の力を体感できたことは、自分のこれからの臨床にも、人生にもとても大きな影響があると思います。オープンダイアローグ的なことも含めた家族療法を、さらにしっかりと学びたいと思いました。

田村のリ・リフレクション)今回は、少人数だったせいもあり、時間をゆっくり流すことができました。こころのデトックス。ぜひご家族にも伝えてあげてください。

3日間、本当に貴重で幸せな時間、体験でした。参加動機は終わってみて今思うと、ライフサイクルが小さな子どもを育てる時期に入り、原家族との距離感がまた変わり、たまに強い感謝を感じても、日常的には常になぜか湧いてくる怒りや負の感情、それが子やパートナーに向かうことをどうにかしたい。外面は良く、心地よい人間関係を築いているようで、家族などの近しい人に怒りや負の感情をぶつけて結果関係を断絶させていく、そんな方法が嫌なのに、繰り返してしまいそうな自分への嫌気が指し、次世代に負の遺産は継ぎたくない、という気持ちで臨んでいたのだなぁ、と後になって感じます。自分なりに家族療法を学びながら、自らを省みたり、俯瞰してみようとしたり、名前がつくことでホッとしたりなどを繰り返してもどこか落とし所が見つからない、うまくいきそうですぐに崩れそうになる足場をどうにかしたいとさまざまな学びからつなげたり広げたりを繰り返していました。

今回の合宿はオンラインでしたが、『気持ち、感情の体験にフォーカスすること』を言ってくださり、田村先生のお話からその手本といいますか、先生ご自身もワークを通じての変化を開示してくださり、他の参加者が先んだってその姿を見せてくださり、私自身もおそらく人生で初めて、自分と家族のことを、他者からの期待を軸におかず、飾らずに素直な自分として、最初から最後まで話切る経験を得ました。それが、自分1人ではなく、田村先生、他の参加者の方々もただただ聴いてくださったことであるがままを受け止めてくださったような気持ちになりました。どこかで小さい頃から抱え続けている『私は恵まれている環境なのになんでこんな辛いとかしんどいとか怒りとかを持ってるんだろう』『そんなこと言っちゃいけない立場だろうに』と思い、押し込めながらも、どうにもならない『理由がつかない苦しさ』みたいなものがなにか、すとんときて、本当に文字通りほぐされた、と感じました。

辛いとか、苦しいとかのネガティブな感情はあまり出さない、相手にどうにかしてほしいことも率直には言わない、言っても不機嫌になって反論して終わり、溜め込んで怒り任せに伝える、最終的には諦めからか子どもの私に愚痴として伝えられたり、目の前にいるのに私を自分の側につけて文句を言う、が主な風景でしたが、今思えばそれは親、さらにその上の世代の親たちが叶えたくても叶えられなかったパートナーとのやりとり、相互作用でよりよく変化する関係を諦めて達した姿だったのだろうか、とも思いました。子どもの頃もいやなら離婚すればいい、と思っていたし言ってきたけど、やってほしくない方法で目の前で繰り返される風景でした。それが、自分自身が小さな子どもを育てるライフサイクルとなり、実家で過ごしてもまだまだあり、自分が大人になった分容赦なく披露されている感じがあり、また専門職や後で得た知識も踏まえて夫婦間をどうにか変化させないと!などと踏み込もうとして、また無力感と怒りに苛まれていました。かつては過保護さから逃れたかった子どもだったはずなのに、今度は自分が過保護な保護者のように両親に入ろうとしたので、そりゃ無理だったよな、と、合宿を経て腑に落ちて納得して諦められそうです。

もし前の世代達が願って叶えられなかったパートナーシップの姿があるとしたら、そんな中でも変化してきたことや、相手の原家族から学ぶ良きところに注目して新しい家族、パートナーシップの形を、パートナーと共に模索していきたいと思います。

どうも私自身は前の各ライフサイクルの課題を積み残しているものが多く感じでいて、やはり単に家族メンバーの数や種類だけでは言えないなぁ、と、他のライフサイクルにいらっしゃる方々が既に達成しているものも感じ、色んな示唆を得ました。一気に飛び越えることはできませんが、程よく軽やかになった心とあたまとともに、これから少しずつ今の家族これからの家族に目を向けて歩んでいこう、と思います。また凝りが溜まったら今度は高山村の古民家に、身体も含めて解放されにいきたいなぁと、それがあると思って臨床も日常の身の回りのことも過ごしていきたいです。

田村のリ・リフレクション)人生で初めての体験を得られてよかったです。「心のコリ」は個人の心の中にあるのでしょうけど、家族システム全体を見渡すとコリの全体像がよく見えますね。そこに気づき、そこから自由になると、心が軽くなり、可動域が広がり、楽に動かせるようになると思います。

ジェノグラム合宿では、今までのことを整理する中で親に改めて感謝が湧いてきたり、相手の実家についても、苦労されたんだなとか思えたり、新たな感情や、今迄気づけなかったことを発見したり思い出したりできました。
何より家族の課題が明確になり本当に素晴らしい時間でした。
特に今回は参加される方が少なかったということで沢山時間をとって検討頂けたことがとてもありがたかったです。
また、多くの悩んでいる家族にこういう機会があれば多くの方が救われるだろうなと思いました。

田村のリ・リフレクション)これまで「ジェノグラム合宿」は主に支援者をターゲットにしてプログラムを作ってきました。最近は、当事者の方もよく参加するようになりました。当事者の方々も参加しやすいプログラムを今後作っていきたいと思います。

家族と向き合うことは私の中で最大の葛藤であり、今まで誰にも打ち明けられずにずっと心の奥底にしまいこみ,見ないようにしてきたものでした。それゆえ合宿が始まって自分の番になるまでは、話したら「今までと家族に対する接し方が変わってしまうのではないか」、「自分が破滅してしまうんじゃないか」と怖さでいっぱいでした。でも,最初こそ何をどこから話せばいいのかわからなく1人プチパニック状態で始まった時間でしたが,不思議と話したいことは自然に出てきて、話している間は先生や他の参加者の方々は穏やかに見守ってくださっていたこともあり、緊張は和らぎ安心して話すことができました。

この安心して話すという体験や、それぞれのエピソードを聴く側と話す側の両方の体験を持ったまま同じメンバーで日常生活に戻るという体験は、気持ちを出すことによる変化を恐れて自分に蓋をし続けていた私にとって,こんなにさらけ出しても良い意味で「人はそう簡単に変わらないのかもしれない」という感覚を初めて与えてくれました。泣いて感情を露わにした後でも温かいご飯を囲んでみんなでお話できるし,私の発言がつたなくてもみんな穏やかなままだし、これはきっと同じ屋根の下で過ごすという古民家宿泊だったからこそ得られたものなのだと思います。

私にいただいた時間の中でも、「もし自分がいなくなったらどうなると思う?」と先生に問われた瞬間は、「私がいなきゃ家族がバラバラになっちゃうから無理だよ!誰かがその役割をやらなきゃいけなくなっちゃうじゃん!なんでそんなわかりきったこと訊くの!」と思っていた私ですが、先生や参加者の方々との関わりを終えて、「いなければいないでどうにかなるんだな~背負いすぎてたかも」と案外さっぱりと受け入れることができました。「そこまで家族に費やさなくても大丈夫だし,自分には自分の人生があるんだから離れてもいいんだよ」とメッセージをもらえた気がして、「家族もそう簡単に崩れたりしないのかも」と思うとこころが軽くなったような気持ちでした。

何よりも人生で初めて自分を暴露して,破滅なんてしなかった安心感と気持ちに触れてもらう嬉しさに話し終えて数日間はハイテンションでしたが、落ち着いた今思うことは、暗いところに押し込めて動くことを私自身が拒んでいたこころに少し光をあててもらえて、この合宿に参加してよかったなとということです。これを機に自分の気持ちにもっと触れてあげたいです。でも、急にマッサージ屋さんにはなれないから、また合宿に参加してほぐしていただきつつ、いつかは自分自身であったり他の人をほぐせるような人になりたいなと思います。田村先生をはじめ、先生の奥様、今回ご一緒させていただいた方々、あたたかな3日間をありがとうございました!

田村のリ・リフレクション)この方、合宿の始めはとても緊張されていました。それが、後半にはとてもリラックスしてテンションも高くなりました。凝っていた心がよくほぐされ、解放されたようです。自分でマッサージの効果を体験すると、他の人の心をよくほぐせる支援者になるでしょう。

合宿では、私自身の家族も開示します。妻はセッションには参加しませんが、夕方には一緒に温泉に出かけ、古民家で食事を共にします。3時間×4回のセッションだけでなく、2泊3日の生活全体が合宿です。妻には負担をかけてしまうのですが、人と人とが触れ合う大きな安心感の中で進めていきます。