家族ミーティングと古民家療法

家族ミーティングも開催されているようなんですが、話す内容はどんなことですか?

家族のこと、自分のこと、、、何でも構いません。
前もって、何を話そうかと考えなくて構いません。

参加してみたい。。。

という気持ちだけ持って参加してください。
ミーティングの場に来て、その時の雰囲気や気持ちで、話したいことがあれば、自由に話してください。
特に話したいことがなければ、他の方のお話を聞いていてください。

、、、でも、どんな雰囲気なのですか?
みなさんは、どんな話をするのですか?

では、参加した方々が送ってくれた感想を紹介します。
これらは、以前のブログに挙げていたものです。

本日はじめて参加しまして、どのような形でどんな事を話すんだろうかと内心ドキドキでしたが、蓋を開けて驚きというかあの場所いた皆様のおかげでもありますけど、心の扉がスーッと開けると思ったのが最初の感想です。よく外国映画などでこのようなミーティングシーンを見ますけど、まさかこんな近くにあるなんて思いもしませんでした。
皆さん立場・状況は違えども、基本悩みは点と線で繋がる気がしました。他人事とは思えない悩みを通じて自分を客観的に芯から返り見る事が出来、これからの思考や行動にプラスを与えていただきました。今まで自分一人で悩んで苦しんでいた事を後悔しました。

初めて参加される方のほとんどはドキドキに緊張されています。これは、こころが閉じている状態なんですね。こころを開いた方が良いとはわかっていても、とても怖くてできません。

それがミーティングでなぜか自然にこころが開かれ、人と繋がると、緊張が解け、安心感が生まれます。そして、前に進む元気が出てきます。

初めてお目にかかる方々でしたが不思議と自由にお話しできました。皆さまからのお話しに気づいたこともあり、また後で自分の話したことについても振り返って考えることもありました。声に出して話し、聞いていただいたことで何かが変わったのか、高山村の自然と古民家の温かさからなのか、とても元気になれました。

「古民家療法」とは、みなさんがこころを開けるための安心と温かさのことです。

何か特別な心理学やカウンセリングの理論や技法ではありません。私自身の経験と体験から自然に生まれてきたものです。既存のカウンセリング理論を参照しながら解説することは可能ですが、そのように理論化することが目的ではありません。体験してもらうことが目的です。

今回のミーティングでは、繋がりについて改めて学びました。
数日前に日常生活で心情が波風立つ出来事がありました。そのことを皆さんに打ち明けて、そして皆さんから反応をもらって、とても安心しました。そして、参加者の方もおっしゃっていましたが、参加者の方々と共通することを感じて「繋がり」を感じました。この「繋がり」が安心するんだと改めて実感しました。
自分の中でどこか残っていた不安感が安心になるのを感じました。安心を感じるということは癒しにもなりますね。ああ、だから私は毎回ミーティングで元気をもらって帰っていたのかと合点がいきました(笑)

つながりが安心を生みます。
そして、安心が元気を生みます。

ただ、それだけのことなんです。

なぜ?どうして?

理屈で考えようとしても難しっくてさっぱりわかりませんが、
それを実際に体験してみれば、ごく自然で、易しいことです。

今日の話題は自分にとっても未解決な部分に踏み込むこととなり、それなのでかえってとてもシンプルに当事者としてそこにいることができました。そこで語っていると、自分がどうしたいか見えてくることに気づきました。
私は、私らしく生きたい。
私らしいって何だろう?
、、、と思うところはあるのですが、今わたしはやはり自分の生きたいようには、生きていないんだろうなということを今日はっきりと感じました。
田村先生には、もっとありのままで生きなさいと言われてきたと思います。
一方で、そんなの無理でしょう、社会的役割があるのだから、と思ってきた自分もいました。
新たなというか、今更ではありますが、目標が見えてきた気がしています。

だれでも「未解決な部分」は持っているものです。
解決できないから、そこに入り込むこともしません。
ミーティングの対話の中で、ふとそこに踏み込めば、新たな光で映し出すことができます。
だからといって「未解決」がすぐに「解決」するわけではありませんが、少なくとも「解決」への糸口を見出すことができます。

 古民家の玄関から土間に足を踏み入れると落ち着く感覚には、いつも不思議さを感じています。この空間の中で、今日も本当に心のエネルギーになる言葉に出会うことができました。
 参加者の方から「一歩を踏み出す」お話がありました。それを聞きながら、私の中では 「踏み出す」= 当然「前へ進む」ものと勝手に解釈していたのですが、他の方から「その一歩を踏み出すのはあなたにとって、横(右?左?)ですか? それとも 後ろとか斜めもありますね〜?」。。。の一言に
「え〜? あ〜?お〜?なんだ? そうですよね? 一歩を踏み出すって 前だけじゃないですよね!    それもOKですものね!」(と、私の心がガランガランと鐘を鳴らしていました)
もしかしたら、そんな事は考えなくても普通にできていることだから、今更そんなふうに驚くなんて不思議ですが、とにかく私の中ではブラボーでした。
 生きづらさを抱えた家族との生活は、本当に必死で大変なんです。それでも無理やり笑顔を作って生きていることもあります。そんな中、一歩でも前へ進むことが(良いほうへ向かってくれることが)親としての使命感にも近いものがあったのかもしれません。
 今はこうして、田村先生のもと安心できる場所で 、古民家の包容力と言葉の力を頂きながら、少しずつ少しずつしなやかに生きていければと願った一日でした。

みなさん古民家で不思議な体験を得ます。
しかし、その魔法の種明かしは、言葉ではできないのです。
なぜなら、その魔法は理屈ではなく、感覚だからです。
それは五感を通して得られる安心感という感覚です。

古い古民家の黒ずんだ太い梁や柱、、、
新しくリノベーションした土間の心地よさ、、、
昔、お蚕さまを飼っていた古民家の広い二階の空間、、、
裏の小川と竹林から流れてくる新鮮な空気や鳥のさえずり、、、

そのような古民家のセッティング(環境)が大きいと思います。

もうひとつ大切な要素が、私が古民家でどのような気持ちで生活しているか。
その安心感をどう来てくれた人たちに投影しているか。
集まった人たちが、どうお互いの気持ちを伝え合っているか。
そのような目に見えない人の気持ちの伝達を「古民家療法」では大切にしています。

この一年間こちらの研修会に参加させて頂いて、当初よりだいぶ自分の気持ちが変化したと感じます。最初は「当事者だから」という心境で、支援者の方に自ら壁を作ってお話を聴いていた部分がありましたが、今では支援者の方、当事者の方という立場をあまり気にせず皆さんのお話を聴いている自分に気づきました。こちらの会に参加することで参加者の皆さんと関わることで自分の癒しになっているのでしょうか。安心感を感じる場があることは確かに感じています。

私は支援者(カウンセラーや医者など他者を支援する人)だから。。。
私は当事者(自分と家族のことを語りたい人)だから。。。

みなさん自分はどちらかに属すると思ってミーティングに参加します。
あたかも違うカテゴリーに属するようなつもりで。
しかし、実際には同じなんですよ。
人は皆自分の人生を生きる「当事者」でもあり、
人と関わる「支援者」でもあります。

このミーティングでは、誰も「当事者」として自身を語ります。
私は支援者だから、、、
私は当事者だから、、、
と壁を作る必要もなく、ありのままの自分でご参加ください。

オンライン参加と現地参加
どちらでも参加できます。
当初は現地参加のみでした。オンラインでは、古民家が醸し出す安全なセッティングは得られないだろうと考えていました。
しかしコロナ禍の副産物で、みなさんオンライン(zoom)でのコミュニケーションに慣れ、現地の安全な雰囲気をオンラインでも伝えられるようになりました。
都合がつけば、現地までお越しください。
日常を離れ、高山村の古民家にいらっしゃること自体に癒しの効果があります。
都合がつかなければ、オンラインでも大丈夫です。