安心を生む対話・不安を生む対話

<学会>
先週の家族療法学会は2年ぶりの現地開催(現地とオンラインのハイブリッド)でした。
この学会には20代の若い頃から参加しています。その頃は、心臓が飛び出るほどの緊張を生みました。学会発表をしても、どうか何も質問が出ませんようにと願っていました。
懇親会では壁の花でした。誰にも話しかけられず、さっさと飲み食いして退散していました。

それが30年経った今では、毎年交流する仲間達との出会いの場になりました。
懇親会では真ん中のテーブルに陣取り、「先生と話したいから」と寄ってきてくれる若い人たちににこやかに応えたり。お開きになれば、まわりを見渡して二次会に繰り出す仲間を探します。
若い頃のように自分から申し込んで研究発表をすることはなく、一般演題の座長・シンポジウムの司会やシンポジスト・ワークショップの講師ばかりやってます。
本当は歳を取っても基本に返り、私自身の研究発表もしなくちゃいけないのですが。
今では、発表した後に質問がないと、物足りないなぁ、受けなかったのかなぁ、わからなかったのかなぁと心配になります。

これほど慣れ親しんだ学会ですが、2年ぶりに会場に来て、馴染みの顔に出会っても、初めはちょっぴり緊張しました。仲間と出会っても、忙しくて無視してスルーされる場合もある。するとちょっと心配になります。その後に再び出会って、「やあお久しぶり!」と二言三言会話を交わせば、ああ良かった!と安心します。

今回、事例発表の座長をやりました。
多くの場合、成功例を出すのですが、今回の発表者は失敗例を出してきました。
私:よく失敗例を出せましたね!
発表者;勉強しようと思って、勇気を出して発表しました。
その勇気はどこからやってきたのですか?
スーパーヴァイザーの先生とのやりとりからです。
スーパーヴィジョンは良いですか?
はい、このケースを経験してからSVを受けようと思いました。

オープンダイアログのワークショップを斎藤環と大井雄一と一緒にやりました。
テーマは、「対話」が問題を解決する。
安心・安全(コロナで言い尽くされた言い尽くされたセリフですが)の対話とは、、、
モノローグではダメなんですね。
ダイアローグ(対話)が必要なんですね。
ヒエラルキー(タテ関係)ではなく、フラット(平等)な関係の中でお互いの声が発せられ、受け止められる体験です。
参加者からのメールを紹介します。
「温かい雰囲気の中でふんだんに対話やレクチャー、そしてたっぷり休憩がありとても良かったです。」

対話(人と人との関わり)は安心か不安かどちらかを生みます。
学会はまだ良いんですよ。年に一回だけのイベントですから。

<学校>
学校は毎日行くところですから、その影響は大きいです。
未だに新型コロナの流行で、この9月からの新学期は休校だったり分散登校だったり。
テレビのニュースでは、学校に通えなくて子どもたちのストレスが心配、という報道が流れます。それは、学校という場が安心に感じられる子どもたちの場合です。
学校=友だちがいて楽しく、安心できる場。
というのが主流の見方(ドミナント・ストーリー)なのですが、
学校=不安を生む場。
と感じる子ども達だって多くいます。でもそれはマイノリティー(規範からズレている価値)なのであまりニュースのストーリーとはなりません。
その一方で、夏休み明けの新学期は子どもの自殺が多い時期。
というストーリーは割と一般的になってきたと思います。ごく最近ですけど。
20年前は、こんなストーリーがマスコミに載ることはありませんでした。
学校は行かなくてはいけない。。。というのもドミナント・ストーリー。
小中学校は行くのが義務だし、
高校・専門学校・大学だって、立派な人になるためには、国の教育レベルを高めるためには、行くべきところなのです。
だから、学校に行かない選択肢は、どうしても苦悩を生んでしまいます。
別に、行きたくなければ行かなくても良いじゃん!
というわけには、なかなかいきません。

<家族>
家族の影響はもっと大きいです。
家族と一緒にいることが安心を生む場合。
逆に不安を生む場合もあります。
家族はプライベートな密室だから、そのどちらか周りからは見えないし、自分たちも気づきません。しかし、私の視点からはよく見えてしまいます。
学会が不安・緊張を生む場としても年1回だしどうにかやり過ごせば良いのですが、家族は毎日の生活の場。そういうわけにはいきません。家族は参加しないわけにはいきません。特に子ども達にとっては。不安な場の中で生活してれば、当然なんらかの問題を生じます。
問題が生じれば、誰もが「問題だ!」と認知できます。でもその背後にある家族・学校などの場(システム)が安心・不安のどちらかは認知できません。
同じ場でも人によって感じ方が違いますから。同じ学会でも、以前は極度に緊張する不安を生む場でしたが、今は仲間と再会できる安心の場です。

子どもが学校に行けなくなったり、友だちが怖くなったり、リスカしたり、ネット依存症になったり、眠れなくなったり、身体に原因不明の痛みや症状が出たり、イライラして暴力をふるいだしたり、、、
そういう問題は誰の目にも見えやすいですが、その問題だけに焦点を合わせてあの手この手で解決しようとしてもうまくいきません。その背後に不安の文脈が隠されていると、、。

その不安の文脈を安心に変えていくのが古民家療法です。
どうやったら安心の場(システム)を作っていけるのか?
その一つの鍵が「対話」です。
安心を生む対話とは?
不安を生む対話とは?
そのあたりも明確に説明していきたいと思いますが、ひとつ言えることは、
対話がないこと。
これは確実に不安を生みます。
不安な対話を繰り返すと、それを避けるために対話をストップしてしまいます。
対話があるはずのシステムに、それが起こらないと、そのこと自体が不安を生みます。その悪循環に陥ると、固定化してしまって、なかなかうまくいきません。
、、、(続く)