自分を肯定できなかった時代

茨城県の霞ケ浦126㎞を走ってきました。
このコースは以前にも何度かひとりで走っています。
今回は1000人ほどのイベント参加者たちと一緒に走ってきました。

いばらきK1 ライド2024

大学卒業以来、茨城には何度か足を運んでいます。
しかし、毎回感じるのはこの地に良いイメージがないんですよ。
なぜだろう??そんなことを考えながら走っていました。
走っている時は身体は酷使するけど、頭はヒマだからいろんなことを考えるんです。

どうも、私は茨城にいた頃、自分を肯定できなかったんだ、、、なんていう思いに至りました。
中学・高校時代、私は優等生でした。
中学時代は生徒会役員をやったり、良い成績をとったり。
高校時代はアメリカに1年留学したり、現役で国立大学医学部に受かったり。それらはすべて肯定的な体験でした。
しかし、大学に入ってからは劣等生でした。
国立大学の医学部で劣等生といってもあまり説得力はないけど、ボクの中ではそうでした。
当時、筑波大学は創設されたばかり。先生たちも張り切って、医師国家試験にみんな合格させようと勉強を詰め込まれました。医学部の授業は選択の余地がなく、すべて必修。単元が終わるごとに試験があり、不合格者は追試を受けさせられました。
私は追試受験者の常連でした。私以外にもそういう人はけっこういたけど、辛い体験でした。
このままじゃマトモな医者になれないんじゃないか、、、
もっとちゃんと勉強したいから留年したいと担当教授に相談したら、バカ言うなと一蹴されました。もっともバイトして、旅行して、もう少し遊んでいたいというモラトリアムでもあったのでしょう。
内科や外科といったメジャーな専攻科では優秀な仲間たちにはついて行けないだろうと思い、当時はマイナーだった精神科を志望しました。しかし、教授たちは仲が悪く、ひとりの指導者についたら他のグループからは指導を受けられずハブられました。医学部の権威体制はひどいものでした。弱者であった学生たちがそのとばっちりを受けました。

もちろん良いこともあったのだと思います。
4年間続けたアメフト仲間とは今でも親しくしています。
霞ケ浦ではウインドサーフィンをやりました。夏にはアオコが大量発生してキレイとは言えなかったけど、楽しかった。(今では霞ヶ浦でウインドサーフィンやっている人なんていません)
その仲間の女の子と付き合っていました。筑波山にも何度も行きました。夜、山頂の駐車場で休んでいたら、地元の暴走族に絡まれ、命からがら麓の警察署まで逃げました。
その話が新聞の地方版に載り、仲間たちにからかわれました。
先輩から地元の子はヤバいぞと脅かされ、自信のなかった私は別れてしまいました。今から振り返ればいい子だったんだけどなぁ。もう名前も思いだせないけど、ごめんなさい、私がバカでした。
東京に帰る途中、友達と土浦の寿司屋でお好みで食べるとどれくらいするのかも知らず、電車賃がなくなって引き返して来たり。
好奇心に任せて土浦のソープランド(当時はトルコ風呂)で学生としては高価な遊びをして、帰り道にラーメンを食いながら無駄遣いをしたと後悔したり。
そんなバカみたいな記憶がやけに残っています。

大学を卒業した後は東京やロンドンに生活の場を移し、どうにか職業人として、家庭人としての自信を回復できたと思います。しかし、茨城の6年間を切り出してみると、自分を肯定できませんでした。だから茨城の土地も肯定できないんだと思います。

そんなことを思いながら霞ケ浦を一周しました。
来年も参加するかなぁ??
コースとしては良かったんですよ。