合宿のふりかえり
2023年10月7-9日に高山村の古民家で今季3回目の合宿が行われました。
参加者は4名。
現地参加が3名、オンライン参加が1名
初めて参加した人、何度も参加している人など様々です。
合宿期間中に今シーズン初めて薪ストーブに火を入れました。
毎回そうですが、合宿で語られる内容はかなり深いです。
私は学生時代に「夏合宿」がありました。
高校は山岳部。大学はアメリカンフットボール部。
夏合宿の期間中は泊まり込み、普段の活動以上にハードで体力の限界まで挑戦します。
ジェノグラム合宿はもしかして心の限界までちょうせんしているのかもしれません。
今回は、「怖さ」の話がよく出てきたと思います。
人と関わることの「喜び」とその対極にある「怖さ」。
本当は大切な人と繋がりたいと願います。
それが成就されると大きな幸せにつながります。
私自身も大切な人を失い、また獲得するなかで、実感してきました。
しかし、繋がろうとする行為は怖いものです。
相手の本当の姿を見るためには、自分も本当の姿を見せないといけません。
無視されるかも、否定されるかも。。。
そうなったら、とてつもなく深い痛手を負います。
合宿でも同じことです。
自分の本当の姿について、本当の輪郭について、包み隠さず語り合いました。
そして参加者みんなで共有します。
合宿後、数日たち、熱気が冷め、気持ちに残っていることがあったら文章化してみてとお願いしました。
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自分を含めて「恐怖感」ということが多く語られた3日間だったと思う。
「恐怖」は過去から現在、そして未来へも繋がってるように感じるし、どこかでリセットしたり放すことも必要なのだろう。
その場所とタイミングを個々が探している。それは決して1人で出来ることではなく、「共有・共感」されながら安心して行われる空間で「誰か」にいてもらえるから可能にもなるのだろう。
「人に寄り添う」際には語り手も自分もリスクを伴う。
語りを受け止めイメージする。それは、自分の想いを脇に置いて語り手の想いにきちんと共感し、困難を乗り越えてきたという物語を共に眺めるような感覚かもしれない。
私には「怖いこと」が多い。
その怖さを受け止めた上で今を生きている。
この瞬間、突然、失うかもしれない大切な存在を、「言葉」と「日常」、「自らの生き方」を以って、今日という1日を紡ぎながら何年か過ごしている。私は傍にいながら、その命のナラティブの中に加わり関係を保てているのかと、常に不安なのだ。故に「言葉」と「態度」には細心の注意を払う。「傷つくこと」、「言えないこと」、「否定される」、「受け止められない」そんな苦しさや辛さ、孤独などの深い闇を味わい尽くしている。反面、その中には優しさや奥深い美しさもある。それを認めながらも「わかってくれない」と命を断たれてしまいそうな日々。平常心でいることの難しさも感じるし、苦しくて誰かに助けを求めている。
「最悪のシナリオ」にならないように、私は自分の形を変化させながら、「あなたの苦しみやしんどさ、辛さを一緒に傷つきながら受け止め、あなたは悪くない」と伝え、自信を持って生きるように見守ることしかできない。時には激しい自己分裂も感じる。
それは、自分自身のネガティブな感情を安全に抱えながら生きていく力を共に探しているようにも思う。「剥がす」のではなく、「自分でゆっくり剥がせる」ように。
と同時に、私も含めた個々の人生にも向き合わなくてはならない。
その中にはどうしても見え隠れするキーパーソンや圧力がある。
いつ、どういう形で侵入されたり突撃されるか、壊されるかと怯えている。
それでも関わり、関わり続けていくものでもあり、その新しい形を模索してもいる。
私はチャレンジしたいことも大好きなこともたくさんあって、それは支えでもあり、「今出来ること」を続けてもいる。結果がどうなるかは分からないけれど、それは強みにも大きな力にもなるはず。根拠なんていらないし、他の誰かが信じてくれなくてもいいのだ。
自分が楽しむこと。
それが個々の立場によって、相互作用の中でどう映り、どう感じるのか、影響するのだろう。
私は誰かの人生を羨ましいとも思ってはいない。未来を自分で作っていくために自分が動いて悩み抜いている。
それには「今」を「共有」される「つながり」を欲していただけなのだろう。
それが思いもよらず色々な状況から新たな「恐怖」に変化したことも紛れもない真実となり、私の中には大きな落とし物にもなった。
私自身の視野狭窄だったり、課題の1つであることも真実なんだろう。
本質の問題と向き合わなくてはならないような事柄が起きていることは、「生きたい」という強いメッセージかも知れない。
そう感じた3日間だった。
合宿が終わってから2週間くらいはごちゃごちゃした気持ちでいまして、その後少しずつ言語化していったのですが、書いてから数日たつと気持ちが微妙に変化し、また書き直すといったことを繰り返していました。その時は断定した思考になっても後から「いや、ちょっとそれは違うな、、、」というような気持ちになって書き直すのです。気づいたらあっという間に合宿から2ヶ月過ぎてしまいました。感じたままを言葉にしようと思って書いたので、内容がわかりにくいところや文章が変なところがあるかもしれません。
私の想いを精一杯記しました。
私が合宿に参加するのは、今回で4回目です。
田村先生との出会いは、2019年の春。子どもの不登校の問題でお世話になったことがきっかけでした。お陰様で子どもは元気になりまして、その後は私自身の生きづらさの問題を見つめたくて、又、家族療法に興味をもったので田村先生がなさっていることを学びたいという気持ちで家族ミーティングやグループ・スーパーヴィジョンに参加し、合宿もその取り組みの一つとして参加してきました。
初めての合宿では、原家族との関係性を細かく語り、観て、現在の私にOKを出せた合宿でありました。先生が書いてくださったお言葉は、〈レジリエンス〉がんばろうと思うエネルギー。今まで困難をなんとか乗り越えてきた自分を再認識して受け入れることができました。参加者の皆さんの前でそのままの自分を出して、それを受け止めてもらった安心感。その安心感を携えて、合宿後日常に戻ったのち、そのままの自分を本当に伝えたい人に打ち明けることができました。そして、嫌われるかもしれないと思っていた自分を受け入れてもらえたのです。深い安心感で彼との繋がりを感じることができました。その時は心の底から感動が湧き上がってきて涙が溢れたことを覚えています。この出来事はその後の彼とのパートナーシップを築く上での土台になったと感じています。
2回目の合宿では、1回目の合宿の発展形でした。自分が今までの人生の中で何を求めてきたのかを振り返り語った合宿でありました。私は今まで「つながり」を求めてきたことがわかりました。
3回目の合宿は、新しい家族関係の構築について語りました。問題だと思っていたことは実は問題ではないことを学びました。新しい家族関係をコントロールしようとしていたことに気づきました。子どもやパートナーを信じていこうと思いました。家族に対する不安が安心へ転換した合宿でした。
2回目3回目は、初回に増してだんだんと、他の参加者の方々との親密な関わりをとても感じるようになりました。それが私自身の存在の安心感へとつながりました。自分を出す怖さを感じながらも、本音を言って参加者の皆さんに受け止めてもらって安心する。その一連の流れを私は田村先生の場で積み重ねてきたと思います。合宿ではより恥ずかしい自分、否定される怖さのある自分をさらけ出すことができました。そんな自分を皆さんに受け止めてもらうことで安心感がとても深くなり、皆さんとのつながりを感じて心の距離がとても近く感じます。それは他の参加者の方のお話を聴き、受け止める側になっても同じで、お話された参加者の方との距離を近く感じます。各合宿でご一緒になった参加者の方々によって最初は緊張はしますが、結果的にいつも安心します。怖さから安心する体験を繰り返すことで安心が積み重なって、田村先生の場では自然に本音を出せる自分でいられるようになったんじゃないかと思います。そして、最近では田村先生の場以外でも結構本音を出して人と関わっている自分に気づきます。本音を出して受け止めてくれる場があることで、日常でも安心して過ごせるようになったと思います。それはまた、今のパートナーの存在もとても大きいと感じます。田村先生の場にパートナーと一緒に参加し、二人で関係を築いてきました。安心あるパートナーとの関係が他の人との関係作りにも影響していると感じます。日常の生活の中では、本音を言ったら相手が引いてしまったり、それほど信頼できない人に打ち明け話をしてしまい、後で他人に言いふらされるのでは、、、と心配して落ち込んでしまったりすることもありました。その度に私は彼に話しをして、彼はそのままの私を受け止めてくれました。現実には、本音を言っても私が想像するような悪いことは起きていないので、昔から「本音を言ったら大変なことが起こる」と思っていましたが、極端な思い込みであったかもしれません。今は昔より気持ちを楽にして人と接することができていると思います。本音を言いたくない人には言わなくていいし、自分が誰と関わりたいのか?を考えるようになりました。
さて、今回4回目の合宿。パートナーと一緒に参加することができました。今回の合宿では二つの学びがありました。
一つ目は、私とパートナーとの関係からの学びです。今回の合宿は、パートナーへの不信感が私の父親との関係からきていることを感じて、その辺をよく観たかったので参加しました。私が彼にお試し行動をすることを合宿の中で実感しました。試し行動をすることは、合宿の前から自分でもわかっていたことなのですが、本当は良くないことなんだよな、、、と思っていて、試し行動をする自分にバツをつけていることに語りながら気づきました。(何故良くない行動だと思ったかは、試し行動について私が理解したのは、ある精神科医のYouTube動画を観たからで、そこでの精神科医の話し方から本当は良くない行動だと医師は言いたいのかなと私が勝手に解釈したからです。)
田村先生が「自分にバツつけてもいいんじゃないですか。適度にバツつけながらやっていけばいいんじゃないですか」とバツつける自分にOKを出してくださり、そうしたらバツつける自分にバツつけている自分もいるなと感じました。自己肯定感を高めるためには自分にバツをつけてはいけないと思っているからです。
合宿後、この振り返りを書きながら当時のことを思い出し、心の内を感じてみました。
自分にバツつけてもいいんだと思えたら、自分にバツもマルもつけない自分が出てきて、何故バツつけるのか?を感じました。するとそこに怖さがあるのを感じました。何故自分にバツするのか?それはそのままの自分はダメだと思っているから。そのままの自分を出すのが怖い。否定されるから。傷つくから。だからバツつけてそのままの自分を出さないようにしている。バツつける自分の気持ちを感じていたらなぜか涙が出ました。
バツもマルもつけない自分は、バツつける自分を可哀想とか健気だなと感じています。人に認めてもらいたいがゆえに自分にバツをつけて自分を苦しめるからです。自分を苦しめてまで私は人に認めてもらいたいことがわかりました。
子どもの頃、自分の欲しいものをあまり言わなかった私が精一杯の勇気を振り絞って親におもちゃをねだったとき、頭ごなしに怒鳴られたことをよく思い出します。しかも多数の親戚がいる前で怒鳴られて、叔母は苦笑いしながら私に慰めの言葉をかけました。それが私には猛烈に恥ずかしかったです。その時に私は自分の欲しいものを言っちゃダメなんだ、自分を出しちゃダメなんだと、ものすごく悲しくなって必死に涙をこらえていました。自分を出すと傷つくから、そのままの自分にバツをつけて出さないようにする。自分を出さなければ人に傷つけられることもない。それは一方では、自分を守る術だったのかもしれません。
今まで試し行動は本当は良くないことなんだとバツをつけてきたので、彼に対して思い切り試し行動ができませんでした。試し行動の途中で私の本音を言っていました。本当は彼を信じたいし、彼の愛情がとても嬉しいということ。そうすると彼は安心します。だけど私の不信感は消えません。私がそうやって素直な良い子なら愛してくれるのはわかっているからです。私が知りたいのは私が悪い子でも愛してくれるか?ということです。どんな暴言悪態をついても愛してくれるのか?この気持ちが私の子どもの心だとわかっていても飲み込まれます。本当に強い気持ちです。その試し行動についても田村先生がOKを出してくださって、私の試し行動に対して「彼がへこたれてしまうと思いますか?」という質問が、合宿後にジワジワと私の心に沁みてきました。
私の試し行動は彼が彼の親にハッキリと自分の意思を言えないときに発動することはわかっていました。彼が自分の親を優先させて私の気持ちに寄り添ってくれないと、ものすごく不安になるので彼を試すのだと思います。それがジェノグラムを観て気づいたのは、その私の試し行動によって彼の心理的な親からの自立を促しているということ。私は、私と彼が自分の思っていることを正直に伝え合うことは大事だと思いました。試しだろうがなかろうが感じたままにぶつかり合うこと、やり合うこと、摩擦がお互いを成長させるのではないかと。そして、そう感じられる核になっているのは、彼の私への深い愛情です。彼は私をとても情熱的に愛してくれています。とにかく彼は私のことが大好きなんだということを改めて合宿で私は感じました。すごく嬉しいです。きっと彼は私のお試し行動に負けずに私を包んでくれると信じています。今彼を信じている自分に気づきました!彼への不信感がずっとありましたが、私は今、彼をとても信じています。ビックリ!そして、さらに、私もまた彼を深く愛していることに今更気づきました!彼が私を想ってくれるのと同じくらい私も彼を愛しています。そんな自分にまたまたビックリ!!
そして、今、彼とそのような関係を築いていけるのは、やはり最初の合宿後の出来事があるからだと直感しました。彼にそのままの私を受け入れてもらった安心感を既に私は感じています。安心感の上にある摩擦は、お互いを成長させてくれると感じます。幼い頃の心の傷を癒し乗り越えていける関係を私達は田村先生のもとで育んできました。
二つ目の学びは、先生からの私の自立です。今回の合宿は、ある意味今までの私の取り組みが一区切りになるような合宿になったと思います。私は今まで田村先生ご夫婦をモデルにしてパートナーとの関係を築いてきました。しかし、最近ズレを感じていた部分があり、それは先生ご夫婦のモデルを卒業する時期が来たことだと先生のご指摘もあって、気づきました。田村先生のお言葉は絶対だと思っていたけれど、田村先生も一人の人間であって、私も一人の人間です。誰もが一人の人間であって皆違っている。違っていていい。もちろんそんなことは今までだってわかっていたことですが、そういうことを頭で考えるのではなく、感じられる心が生まれた!そんな心境です。又、「私は私」と思える自分が強くなったという感じもします。今までは過去の出来事に思いを巡らせることが多かったですが、今はこれからの未来を考えています。これから自分は何がしたいのか?何ができるか?そんな未来を想像すると、とてもワクワクしてきます。その自分の隣には常にパートナーの存在があり、彼と二人で創っていく未来がとても楽しみです。
そんな意味で、私のこれまでの合宿を振り返り、それをテレビドラマのタイトルに例えるなら、「合宿 シーズン1 」が終わり、来年からはシーズン2に突入するのかなっていう感じでいます。来年は引っ越しをするので環境がガラリと変わります。そこでの新しい人間関係や仕事。家族の形。これまで田村先生の場で学んだことを活かして私に何ができるか?来年の合宿では私はどんなことを語るのだろう?それが良いことでも悪いことでもなんだか楽しみな気持ちです。
私にとって田村先生の合宿は、自分自身の人生と向き合う場であり、そこでの参加者の皆さんと関わる私の喜びの場であり、そして、すべてひっくるめて生きるための安心を与えてもらえる場であると感じています。
合宿では、先生ご夫婦が育てられた農作物をご夫婦で調理してくださり、その手作りのお食事を頂きます。奥様のご負担は大きいですが先生もできる限りお手伝いされているご様子でした。私達のためにお食事を用意してくださり、ご一緒に同じ食卓を囲む。そのお料理が格別美味しくて、奥様が食をとても大事にされているのを感じます。手作りのお料理に心が満たされて幸福感に包まれます。温かいなぁ。。。セッションでの疲れがほぐれます。本当に有難いです。
今回ご一緒しました参加者の方々にも不思議なご縁を感じ、出会いに感謝しています。
どの合宿でもそのメンバーであったからこその気づきがあります。
合宿のすべてに感謝です。
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