先週の連休のメタ合宿は4名が参加しました。
これは、過去の合宿に参加した方限定の合宿です。
天気が良かったので、自然の中、家の庭でもやりました(写真)。
主宰する私としては、通常のジェノグラム合宿に比べると楽です。通常の合宿では私がリードする部分が多いのですが、メタ合宿での私の役割は皆が安心して語れる環境を整えるだけで、あとは慣れている参加者たちが自ら展開してくれます。前回に描いたジェノグラム(家系図)を持ってきたり、新たに今の視点でジェノグラムを描いたりします。参加者たちはお互いに支え合い、自然の中で癒しが展開されていきます。
主催する私自身も客観的な観察者ではなく、参加者の一部です。こんなことがありました。
困難に押しつぶされそうになりながらも、前に進もうとしているひとりの参加者に、私が質問しました。
「あなたが前に進んでいるレジリエンスは何ですか?」
参加者は意図せぬ質問に戸惑いながらも応答してくれます。
その翌日、別の参加者が私に尋ねてきました。
「先生のレジリエンスは何ですか?」
「そうねぇ。。。大きな困難に出会うと、それを乗り越えるために前に進む人と、後ろに撤退する人がいますね。後退すると『うつ』をはじめ様々な問題が生じます。それがどんなに辛いか、たくさんの人を診ているので、どうしても前に進もうと思ったんですよ。」
「そう思っても、できない人もいますよね。先生はどうやって前に向かったのですか?」
そう突っ込まれ、私もすぐには返答できず考えてしまいました。
答えは何となくわかっていたのです。でもそれを言っちゃっていいのだろうか?発言すれば、それが参加者に認められ、私自身の「物語」に組み込まれます。
たぶん参加者たちも同様に体験していることなんだろうなと感じました。一人ひとりが自分を語り、参加者たちが受け止め、いろいろ突っ込んで物語を深めてゆきます。
参加者たちの声も伺いたいと思います。(以下、ハイライトは田村によるものです)
自分のジェノグラムを書いた中で、今までは、自分のため、家族のために何ができるかということばかり考え、自分が何をしてもらいたいかという発想がなかったことに気が付きました。それは、いろいろなことをしてもらう時も、当たり前の事と思っていたからだと思います。
今後は、どんなことをしてもらいたいかという視点を持つとともに、どんなことをしてもらっているかを振り返り感謝できればと思います。
合宿に参加する前、私は「歩き出したら沈んじゃいそう」と思い、これからどうやって生きていくか悩んでいました。
合宿が終わってから、体が軽くなって、ぐっすり眠れるようになりました。
「人は人に何かしてもらうからこそ、何かできると思うんです」これは自分のセッションが終わっていい気分になっている私が言った言葉です。正直、その言葉を発した自分に驚きました。そして気付きました。
返したいと思うのは、それだけのものを貰ってきたから。
今もたくさん、貰っているから。
ちょっと前まで、ただの重荷で、早く下ろしたかった家族への気持ち。それは今、私を奮い立たせてくれる、私の人生を生きるための大事な力になりました。
みなさんとの対話の中で、私の物語が変わりました。
セッションで、10年後、20年後を想像した時、自分の足でしっかり立って、自信を持って親と話す自分を想像しました。それは、自分自身に嘘をつかず、自分で切り拓いた人生を生きている私でした。
それを実現させるために私がやるべきことは、今を精一杯に生きること。
歩き出したら沈んじゃいそうだった道が、確かな道になりました。
みなさんが私と一緒に涙を流し、一緒に悩み、最後まで私を信じて受け止めて下さった、あの時間と空間。あたたかくて、優しくて、自然で、温泉みたいでした。
あんなに痛くて泣いたのに、心地よい体験でした。日常生活に戻ってきたばかりなのに、「高山村に帰りたいなぁ」なんて思っている自分がいます。みなさんと過ごした高山村の古民家は、私にとって帰りたい場所のひとつになりました。
私のAnother Skyです(笑)
「また押し潰されそうになったら、高山村に行こう」そう思うだけで今を頑張れます。
「この人の所に帰れば、大丈夫」私もそう思ってもらえるような人間になりたいなと思いました。
この合宿に参加して、みなさんから受け取ったバトンを、私もたくさんの人に繋いでいきたいです。
今回は、母との死別がテーマになりました。
これまで母がいつかは死んでしまうことを頭ではわかっていながらも、現実感のない、どこか他人事のように捉えていました。しかし、私の伯父、母が私の幼少期の頃から自慢の兄として語られていた伯父が亡くなったことで、母の死という現実を受け入れざるを得なくなりました。
この事実を認めなければいけませんが、絶対に認めたくない。
心と頭はぐちゃぐちゃです。
私は子どもの頃から母の話し相手となってきました。母親は、私にとって母親でもあり、家族のゴタゴタを共に乗り越えてきた相棒です。とはいえ、子どもだった私は力不足で、母は、さまざまな局面で、文字通り「身体を張って」私たち兄弟を守っていました。
そんな母と私が向き合うことは、私にとっては恐怖でしかありません。「瓢箪から駒」のように、気づきたくない母とのネガティブな関係に気付いてしまう可能性がゼロではないからです。これまで母と頑張ってきた物語を壊すようなことはしたくありません。しかし、現実を突きつけられた以上、なんとかするしかありません。気がつかなかったことにするという方法もあるのでしょうが、職業柄、自分の感情を押し殺したまま生きることは難しいことも理解しています。
腹を括り、私の中にいる母親について泣きながら、一生懸命、話しました。
そして、気がつきました。
私の中には、母から伝えられた「優しさと強さ」が、ありました。そのことに気がついたら、とても温かい気持ちになってきました。
話しきった後に、母から強さと優しさのバトンを受け取っていたという安堵感に包まれました。
私はたしかに母からバトンを受け取っていました。そして、このバトンを私の家族や一緒に勉強している学生さんにも渡していきたいと思いました。すると一緒に合宿に参加した学生さんから思いも寄らない言葉をかけられました。
「先生がお母さんから受け取ったバトンは、私にも届いている」
自分が肯定されるような温かい気持ちに包まれるとともに、身体に力が沸いてきました。
ネガティブに語られがちな死。
でも、今回の合宿では、母の死と向き合い、受け入れることで、前向きの力に変えることを学びました。そして、新たな気づきも得ました。これまでの合宿では父親との葛藤をテーマにしてきましたが、その背後には、母親と向き合う怖さが隠されていました。そう思うと、父親は、私からどれだけ文句を言われようと、何度でも立ち上がる父親の役割を果たしていたと思えてきました。本人は、こんなこと1ミリも考えていないでしょうが。
参加者のみなさんが一生懸命、私の話を聴いてくれたおかげで、痛みを伴いながらも、この物語を紡ぎ出すことができました。感謝の気持ちでいっぱいです。参加者のみなさん、ありがとうございました。
そして、ありがとう、お母さん。私は、頑張っていけるよ。
ありがとう、学生さん。私は、その言葉で何度でも立ち上がれる。
合宿を終えて数日は、なんだかぐちゃぐちゃした気持ちが湧いてきて、落ち着かない心境でいました。それは、「田村先生に見捨てられてしまうかもしれない!?」という気持ちがあることに、そして親を投影している気持ちだと気づきました。
今回の合宿で私はかなり本音を出して、素っ裸の自分を出したので、私の心の深いところにあった「本当の自分を出すと見捨てられる」という不安(ネガティブな思い込み)が出てきたのかな、と思いました。
今までも田村先生の場で、本音をさらけ出してきた私ですが、今回の合宿では特に、他の参加者の方々との年齢や肩書きを超えた「素っ裸同志の人と人との関わり」を強く感じました。
先生ご夫妻や参加者の方々と今回初めて同じ食卓を囲んだ体験がとても貴重でした。その時に先生がまるで父親のように感じられ、安心する父親に見守られて食事をとる家族とはこういう感じなのか、、、と私には生まれて初めての感覚が湧いてきました。なんとも言えない安心感です。—これは、私の子どもの心が反応したのだと思います。先生の奥さまにもまるで母親のような感覚になりました。
このような投影が起こったのは、参加者の方々との素っ裸な関わりがあってのことこそだったとも思います。他の参加者の方々は兄弟のような感覚でしょうか!?
それだけ人と人との距離が近くなる経験が、私にとっての合宿の意義なのではないかと今思っています。
セッション中、私は他の参加者の方のお話を聴きながら、自分とリンクさせ感情が大きく動きました。そして、その自分をそのまま言葉に表現しました。参加者の方々もご自身をそのまま表現されていることを感じました。ある参加者の方から頂いたお言葉が、その方の語りを聴くことによって厚みを増して私の心に深く届くことがありました。
合宿空間=感情(エネルギー)をわかち合う人と人とのつながり=人と人とが一緒に居る感覚
・・・そのような人との親密な関わりを感じて、皆さんとその場に一緒にいることに喜びを感じ、ひいては私という存在の安心感に繋がります。この感覚は多かれ少なかれ今までの合宿でも感じていて、だから私は合宿に参加したいんだとわかりました。
自分自身については、自分の理想となるような家族関係にしようといろいろ考えて、家族に働きかけて、コントロールしない様にしていてもコントロールしようとしていたのかもしれないということに気づきました。自分の理想とする家族がいかにも絵に描いたような家族であったことにも気づきました。
今の現状で「何も問題はない」という先生の一言でこれでいいんだと安心しました。又、参加者の方々からの指摘や感想を受け取り、仲の良い家族関係とは?自分が本当に求めているものは?ということを考えさせられて、一つ屋根の下で暮らすことにこだわらなくていいのではないかと思いました。
そして「母親としてこうでなければならない」という自分で決めたルールで自分を苦しめていたことにも気づきました。
私が思うよりずっと、子どもは成長していることにも気付かされた合宿でした。子どもにとっては、私との距離が離れて自立する良いチャンスになった様子です。